マラソン服部勇馬が元日に駅伝を走る意味 五輪代表内定も、始動は“いつも通り”
直前に故障も……出来は7〜8割
「佐藤敏信監督からは『落ち着いて入っていけ』と言われていましたが、後ろとの差が10秒ちょっとだったので……。できる限り前半を速く入って、後ろの選手の気持ちを折りたいという思いがあったので、できればハイペースで入ろうと思っていました」
服部は昨年9月の「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で2位になって東京五輪代表が内定した後は、休養もかねて各所のあいさつ回りなどをしていたという。その後は10月の終わりころから練習を再開し、11月17日の中部実業団対抗駅伝では11.8キロの7区を走り、区間1位の34分39秒で優勝のゴールテープを切っている。
12月のチーム合宿では体調が戻ってきたこともあって、ニューイヤー駅伝では22.4キロのエース区間4区か、前年も走った上りのある15.8キロの5区をやろうかという話になっていた。だが大会3週間ほど前になって太ももに違和感が出たため、5区に決定した。佐藤監督は「本人もチームの戦いのために責任感を持ってやってくれていますが、最後は練習を落としたというか、無理をさせなかった。スピード練習がちゃんとできなかったという状態を考えれば、出来自体は7〜8割というところだったと思う」と話す。
後半のビルドアップを今後の課題に
だが、終盤ではその差を詰められてしまった。服部は「今回の走りは最初からハイペースで入ってそのまま押し切るというのがテーマでしたが、残り5キロから少しペースダウンして後ろとの差を詰められてしまいました。マラソンでも後半はより大事になってくると思うので、そこをこれからの練習でももう少し意識して、ビルドアップできるようにしたい」と、レースを振り返った。
ペースダウンしたという終盤でも、追う村山に差を詰められながらも再び突き放すような粘りと意地の走りを見せていた。たが、最後は村山のラストスパートで5秒差にまで詰められて中継。昨年獲得していた区間賞を村山に7秒差で奪われ、チームとしても6区で逆転される勢いを旭化成に与える結果になってしまった。
「区間賞を取れなかったのと、チームの2位という結果は残念でしたが、今やるべきこと、やれる走りは出し切ったかなと思う」と服部は話す。東京五輪へ向けては、「内定もしているので自分自身にも余裕を持って、ケガ無く8月9日に向けていい練習ができるようにしたいです」