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名古屋での失敗を糧に…新たなチャレンジへ
小倉隆史は理事長としてJリーグを目指す

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名古屋の言い訳はしない「僕の力不足」

名古屋では不本意な結果に終わった……。小倉隆史はいま地元でJリーグ入りを目指して奮闘している
名古屋では不本意な結果に終わった……。小倉隆史はいま地元でJリーグ入りを目指して奮闘している【栗原正夫】

 引退後は明るいキャラクターを生かして、主にスポーツキャスターとして活躍していた小倉隆史が現場に復帰したのは2015年6月のこと。まずは古巣・名古屋グランパスのGM補佐に就任すると、翌16年には低迷していた名古屋の再建を託される形でGM兼監督という重責を担うことになった。


 クラブのOBとはいえ、それまで指導経験のなかった43歳(当時)の新人監督の大抜てきは、Jリーグでも異例として世間の高い注目を集めた。しかし、シーズンが開幕すると春の終わりから夏場にかけてリーグ17戦未勝利と不名誉なクラブ記録を作ってしまい、8試合を残した時点でJ2降格圏の16位(年間総合順位)に低迷。小倉は不本意ながらシーズン終了を待たずに事実上の解任となり、結果的に名古屋はクラブ史上初のJ2降格という憂き目に遭うこととなった。


 新人監督にいきなり強化と現場の「全権」を委ねたという点では、非はむしろ任命したクラブのフロントにあり、事態の矢面に立たされた小倉が気の毒だったとも言えなくはない。ただ、消すことのできない過去も、いまにしてみれば大きな財産だ。

 小倉は、17年3月に東海社会人リーグ(以下、東海リーグ)1部の「FC.ISE-SHIMA」のアドバイザーに就任すると、18年12月から同クラブの理事長兼アシスタントコーチとして新たな挑戦に臨んでいる。長い人生で見れば、失敗も無駄ではなかったと感じていることだろう。


 FC.ISE-SHIMAは13年に地元伊勢市出身で、小倉の四日市中央工時代のチームメートである中田一三(元横浜フリューゲルスなど)が立ち上げたクラブ。小倉はその中田から理事長のポストを引き継ぎ、現在はクラブの顔としてピッチ内外で奮闘している。


 ミッションは前理事長の中田が「暇やろ?」と小倉に声をかけたところから始まったというが、小倉はいまどんな思いでいるのか。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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