上原浩治、野球日本代表での軌跡 数々の国際舞台で活躍してきた原点
WBCで、五輪で、ワールドシリーズで、数々の大舞台で活躍してきた上原浩治氏の原点となる日本代表の軌跡を振り返った 【写真:アフロスポーツ】
「マウンドに上がって勝っても、負けても、次の日になったら気分を切り替える。レッドソックスでは“New Day, New Day”って言ってましたね」
失敗だけではなく、勝利に酔うこともなく、新しい日に集中する。とてもいい言葉だと思った。そうして世界の舞台で活躍してきた上原さんの原点が、日本代表にあったことを実感している。
プロでの日本代表は尋常ではない重圧
「大学3年のときにインターコンチネンタルカップで、当時世界最強と言われていたキューバ相手に結果を残したことで、スカウトの方々にも注目していただくことができました。日本代表は本当に人生のチャンスをつかめた場所でしたね。それに大学生のときは代表で招集してもらえると、本当にうれしかったですよ。個人ではなかなか行けないヨーロッパだとかに遠征で行けたので(笑)」
野球、そして人生をエンジョイしていた上原さんの姿が目に浮かぶようだ。
その上原さんが、「しんどかったですよ」と言うのが、巨人に入団してからのプロ野球選手としての日本代表として戦った経験だ。上原さんは2004年のアテネ五輪、06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、そして08年の北京五輪で日本代表のユニホームを着た。
「プロで日本代表になるのは、まったくの別物でした。なにせ、日本を代表するプロの選手が一堂に会して日の丸のユニホームを着る。当然、期待されるのは優勝です。尋常ではないプレッシャーでしたね」
特に04年のアテネ五輪のときは、大会前に長嶋茂雄監督が倒れたこともあり、なんとしても金メダルを持ち帰りたかったというが、それがかなわなかったのが今でも残念だという。
また、北京五輪のときは、シーズン中の状態が思わしくなかったが、当時の日本代表の星野仙一監督から、「どういう状態であろうと上原が必要なので、待ってる」という話を受け、巨人で務めていた先発ではなく、クローザー、しかもキャプテンにも指名された。
忘れられない第1回WBCでの世界一
「本当にプレゼントしてもらったチャンスでした。準決勝の相手は韓国で、1次ラウンド、2次ラウンドともに1点差で負けていた相手でした。これはもう負けるわけにはいきませんよ。王貞治監督から、先発を託されましたが、自分ではいい仕事が出来たかな、と思っています」
韓国に勝ち、決勝でもキューバを破って初めての大会で世界一。優勝が決まってから、上原さんがマウンドの上に日の丸を広げた姿も忘れられない。
ちなみに、このWBC決勝の日に、息子さんが生まれたのも思い出になっているという。2006年3月20日――それは上原さんにとって、生涯忘れ得ぬ日となった。
いまの侍ジャパンは打撃に魅力
鈴木が主軸を務める打線に、上原さんも「打撃に魅力があると思う」(写真は第4回WBC)と期待を寄せる 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
「東京五輪の前哨戦の意味合いもありますし、とても重要な大会です。日本シリーズを戦った選手たちも合流し、チームとして日に日によくなっていく段階でしょう。僕がもし監督だったとしたら……とにかく打撃重視です!(笑)。日本の野球の特徴は繊細さにありますが、今の日本の選手たちって、打撃に魅力があると思うんですよ」
山田哲人(東京ヤクルト)、浅村栄斗(東北楽天)、鈴木誠也(広島)……。稲葉篤紀監督がどんな打順を組むのか楽しみでならない。
そして上原さんは、さまざまな年齢のカテゴリーの日本代表があることが、未来の侍ジャパンにつながると語る。
「10代から海外のチームと戦えることは、とてもいい経験になるはずですし、侍ジャパンにとってもプラスですよね。プレミア12から東京五輪に向けて、ますます侍ジャパンが充実していくと思います。僕もお手伝いできることがあれば、お手伝いしたいと思います」
頼りになる先輩のバックアップ。侍ジャパンの歴史は後輩たちに引き継がれていく。
連載「上原浩治、日の丸への想い」が11月2日からスタート
「上原浩治、日の丸への想い」
長年、野球日本代表で活躍し、国際試合負けなしを誇った上原浩治さんに単独インタビューを敢行。日本代表の思い出や、現在の日本球界から選出する最強チーム“上原ジャパン”を選んでもらいました。掲載スタートは11月2日。どうぞお楽しみに!
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