7位入賞の谷本、“落ち待ち”戦術ピタリ 世界陸上・女子マラソンを藤原新氏が解説
後半のペースアップで7位入賞を果たした谷本観月。「狙っていないとできないレース」と藤原新氏は分析する 【写真:ロイター/アフロ】
世界選手権初となる深夜レースは、気温32.7度、湿度73.3%と厳しいコンディションの中で始まった。谷本は中野、池満とともに序盤は後続争いをしていたが、次第に順位を上げ、20キロ地点では14位争いに浮上。その後も粘りの走りで次々と選手をかわし、32キロ過ぎに7位に上がると、入賞圏内を維持したままフィニッシュした。
高温多湿で途中棄権が続出したサバイバルレースを、2012年ロンドン五輪マラソン代表で、現在はスズキ浜松AC男子マラソンヘッドコーチを務める藤原新氏が解説する。
谷本が7位入賞「狙っていないとできないレース」
予想通りスローペースで進みました。その中で、日本選手3人は集団になってさらにスローペースで走っていたのが印象的でした。というのも、このペースなら先頭についていってもいいのではと思っていましたが、日本勢はそれよりさらに遅い1キロ3分45〜50秒のペースだったので「これは遅すぎるのではないか?」と。レース前半はそう思っていました。ただ、ふたを開けてみたら谷本選手がきれいな追い上げを見せて7位に入りました。谷本選手としては、前半の超スローペースもシナリオの一つとして、しっかりプラン通りにレース運びができたのではないでしょうか。今回は(ペースダウンした前の選手を拾って追い上げる)“落ち待ち”に懸けていたのだと思います。
入賞したのはもちろんすごいことですが、勝ちにいったレースではありませんでした。日本選手は3人いるので、1人は攻めても良かったのではないかとは思いました。ただ、谷本選手は戦術がきれいにはまった形だったので、(入賞狙いで)世界と戦うとしたら、この戦術は非常に有効だと思います。
――谷本選手の走りの良かった点は?
最初は1キロ3分50秒前後のペースでしたが、後半は3分40秒を切るようなペースでした。これはしっかり狙っていないとできないレースです。おそらく彼女がシナリオを描いて、それ通りにレースを進め、そして実際にある程度狙った通りにレースが進んだのでしょう。展開を読んだクレバーな走りだったと思いますが、同時に勇気も必要だったと思います。
――狙い通りにレースを進めるためには、どういった準備が必要なのでしょうか。
相手ありきの競技なので、そもそもレースをプラン通りにやったとしても、それが狙った通りの順位になるかといえば、ふたを開けてみないと分かりません。ですから「プラン通りにやって、それでだめなら仕方ないや」という、ある意味の割り切りが必要です。例えば、ポーカーで手持ちに「フォーカード」が来たら、さらに強いカードで来られる可能性があったとしても、勝負に出るしかないと思うんです。それと同じで、「このカードで行くぞ」と決めて、結果がどう出るか分からないプレッシャーの中で、いかにシナリオ通りに進めて、自分のやるべきレースができるか。入賞を狙うのであれば、シナリオを描いて“落ち待ち”が一番可能性が高いのではないでしょうか。
一方で、展開の読めないボクシングのような(スパートと揺さぶりで殴り合うような)レースもあると思います。金メダルが取れるような本当に勝てる選手は、そういった勝負ができるのだと思います。
――メダル争いをするのと、入賞争いをするのでは。戦い方が全然違うと?
そうですね。リスクの負い方が全然違うので、やはり戦い方も全然変わってくると思います。
東京五輪はさらにせめぎ合うレースに?
持ちタイムトップのチェプンゲティッチ(左端)が優勝するなど、上位にはスピードと実績を兼ね備えた選手が入った 【写真:ロイター/アフロ】
今回の厳しいコンディション、さらに(深夜のため)太陽がないという中で、自己ベストで2時間20分切りをしている選手が今回2時間30分を上回れなかったことで、東京五輪はこれくらいのタイムをターゲットにしようという目安にはなるでしょう。ただ、これは根拠はないのですが、東京五輪ではもう少し速くなるのではと思います。今回は先頭争いの選手たちが「これ以上きついのは嫌」という感じで、(無言の)協定を結んでゆっくり行って、ラストだけ頑張ろうねというようなレースに見えました。タイムを狙っていればもっと(積極的に)いっていたでしょうし、五輪はもっとせめぎ合うようなレースになると思います。
――となると、日本勢はさらに地力をつけないと上位争いは難しいでしょうか。
暑さに強い・弱いはもちろんありますが、一番大切なのは地力であって、日本と世界では確かに差があります。ただ、これは確率の問題だと思うんです。東京五輪は今大会以上に過酷なレースになると予想されています。今回、有力選手が何人も途中棄権していますが、東京ではさらに増えると思います。それを期待するわけではありませんが、それをシナリオの一つに入れてレースを組み立てることが必要です。例えば、上位選手のペースの上げ下げの一つ一つに付き合っていたら絶対に持ちませんが、1分程度の差であれば、前を走る選手がペースダウンした時にある程度追いつくことができます。今回は先頭から3分、5分と差が開いてしまいましたが、そのギリギリ許容される差を保ちながら、いざという時にすぐに射程圏内に入るというような、そういったペースで追いかけないといけないと思います。
――2000年シドニーで高橋尚子さん、2004年アテネでは野口みずきさんと、五輪で2大会連続金メダルを獲得するなど強さを見せていた日本女子マラソンですが、近年は低迷しているとの声も聞かれます。今後の女子マラソン界に期待することは?
女子は“ダブル金メダル”を背負っていて、その伝統を引き継ぐのは並大抵のことではありません。僕も指導する立場になって、軽々しく「世界で金メダルを狙え」とは言えませんし、その重みをまさに痛感しているというのが正直なところです。
高橋さんにしても野口さんにしても、誰もやったことのないような練習量をこなして勝ってきました。でも、今の若い選手はもっと自然体になってきていると思うんです。練習がだんだんと科学的になって「かつてはあれだけ練習してきたけれど、今はこれくらいでいい」ということも言えるようになってきているはずです。走るためのノウハウの蓄積は確実に進んでいると思いますが、それが結果につながるにはそれなりの時間がかかります。男子も女子も、見えないところで少しずつ結果に近づいてきていると思うので、それを信じてやってほしいと思います。
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