人口3万5000人の街にW杯がやって来る 新スタジアムを「負の遺産」にしない為に

宇都宮徹壱

「釜石には外から来る人を受け入れる文化がある」

NPO法人かまいしリンク代表の遠藤ゆりえさん。留学先のニュージーランドでW杯を経験。釜石での開催に期待を寄せる 【宇都宮徹壱】

 次に話を聞いたのは、NPO法人かまいしリンク代表の遠藤ゆりえさん。遠藤さんは生まれも育ちも釜石だが、新日鉄釜石の黄金時代を知らない。知っているのは、次第に衰退してゆく街の風景。それに拍車をかけたのが11年の震災だった。もともと「釜石と世界をつなげたい」という夢を持ち、震災後は「復興に関わる仕事がしたい」ということで12年に現在のNPOを立ち上げた。震災時は釜石にいなかったとはいえ、自らも被災者である遠藤さんにとり、故郷でのW杯開催はどのように映るのだろうか。

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 新日鉄釜石の7連覇は、私が生まれた次の年(1985年)の1月なんですよね。ですからもちろん、当時のことは覚えていません。実家のすぐ近くで優勝パレードがあったと両親から聞いたことはあります。釜石の人口はピーク時に9万人くらいいて、その頃は映画館が3つ、遊園地もあったんです。でも私が4歳になる年に高炉が停止してから、どんどん人口が減っていって、商店も次々にシャッターを閉めるようになりました。今の人口が3万5000人くらいですから、この50年で6割も減ったことになります。

 大学進学で一度釜石を出て、卒業後も2年くらい東京で働いていたんですけれど、東京は長く暮らすところではないと思って戻ってきました。こっちで2年働いてから、英語とビジネスを学ぼうと思ってニュージーランドに留学したんです。いずれは釜石と世界をつなげる仕事がしたいと思って、最初は5年くらいのスパンで考えていました。そうしたら留学して半年後に、あの津波ですよ。幸い私の家族は無事でしたし、家は鉄筋だったので外枠は残りましたけど、ほとんどのものは流されてしまいましたね。

 その年の9月に戻ってきて、次の年の5月にかまいしリンクを立ち上げました。それまで釜石にはNPO法人が3つしかなくて、震災後は私たちが初めてでした。13年の9月に、その後スタジアムができる鵜住居にプレハブで『ラグビーカフェ』というお店を作ったんです。かさ上げ工事が行われる15年の10月にお店をたたんで、今の場所(シープラザ釜石)に移転しました。ここはラグビーを通しての交流の場ではあるんですが、市が管轄するスペースなので「カフェ」と言いながら飲食が出せないのが残念ですね。

 私がニュージーランドにいた11年は、ちょうど現地でW杯をやっていたんですよ。あの盛り上がりが、釜石でも見られるのは楽しみです。もっとも、日本開催が決まったのは09年なのに、開催地に名乗りを挙げたのは震災後なんですよね。震災復興という大義名分がなければ、こんなに小さな街が仙台を押しのけて選ばれることはなかったと思います。ただし釜石には昔から、外から来る人を受け入れる文化はありました。決して排他的ではないんですよ。その意味で言えば、W杯開催にふさわしい街だと思います。

W杯開催とスタジアムをいかに未来につなげるか

試合会場の釜石鵜住居復興スタジアム。1万6000人収容だが、大会終了後は仮設スタンドが取り除かれる予定 【宇都宮徹壱】

 鵜住居にあるスタジアムにも足を運んでみた。地震直後、ここの防災センターに200人以上が避難したところで津波に飲み込まれ、生存者はわずかに34名。市内で最も犠牲者の数が多かったことから「釜石の悲劇」と呼ばれている。一方、近隣の鵜住居小学校と釜石東中学校も津波で校舎が全壊したが、登校していた生徒は高台に逃れたため、ほぼ全員が無事。こちらは「釜石の奇跡」として知られている。そして現在、悲劇の跡地は「釜石祈りのパーク」となり、小中学校があった場所にはスタジアムが建設されている。

 そのスタジアムの外観を撮影しようと思ったら、作業用の白い壁で覆われていてメインスタンドしか見えない。完成した当初は、誰でも入れるくらい開放的な施設だったと聞いているので、本番に向けてセキュリティを強化したのだろう。それでも、おおよその概要は確認できた。キャパシティは1万6000人だが、そのうち1万席分は仮設。夜間照明や大型スクリーンも仮設である。大会後は6000人収容にダウンサイズされ、新日鉄釜石ラグビー部の後継クラブである、釜石シーウェイブスがホームゲームで使用する予定だ。

 釜石はラグビーの街であり、7連覇達成の記憶を今も大切にしながら暮らしている市民も少なくない。とはいえ、当時を知る人は若くても40代後半。釜石がW杯の会場となることを働きかけたのも、新日鉄釜石のOBを中心とした、ラグビーが強くて街に活気があった頃を知る世代だったと聞く。とはいえ、大切なのは過去の栄光よりも未来の可能性であると考え、今回の取材では当時を知らない世代にあえてアプローチした。そんな彼らに共通するのは、W杯を楽しみにしながらも過剰な期待をしない、冷静なスタンスである。

 遠藤さんは、ラグビーどころという土地柄について「釜石が強かったから応援する人もけっこう多かったと思うんですよね。全員がラグビーファンだったとは思えないです」と手厳しい。石井さんは、世代間にギャップがあることを認めつつ「今回のW杯がその溝を埋める契機になればと個人的には思っています」。わずか2試合とはいえ、それでも3万5000人の街にW杯がやってくることのインパクトは計り知れない。その経験を、どう次世代につないでいくのか。その前に、まずは9月25日の試合を楽しみに待つことにしたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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