人口3万5000人の街にW杯がやって来る 新スタジアムを「負の遺産」にしない為に
釜石が開催都市に選ばれ、スタジアムが作られた理由
最も小さなW杯会場となる釜石。新日鉄釜石の伝説と東日本大震災の復興支援が、人口3万5000人の街を後押しした 【宇都宮徹壱】
では、唯一の新設スタジアムはどこかというと、ラグビーどころとして知られる岩手県釜石市に建設された、釜石鵜住居復興スタジアム。7月27日には日本代表とフィジー代表のテストマッチが行われたことでも話題になった。史上初のラグビー日本選手権7連覇を達成した、新日鉄釜石の伝説。そして東日本大震災による、甚大な津波被害。過去の栄光と悲劇という2つの要因があればこそ、人口わずか3万5000人の釜石市が会場に選ばれ、スタジアムが新設された──。そう考えるのが自然であろう。
もっとも今大会での釜石でのゲームは、フィジー対ウルグアイ(9月25日)とナミビア対カナダ(10月13日)の2試合のみ。当然ながら「大会後」の活用もきちんと考えなければならない。ここで課題となるのがアクセス。東北新幹線が停車する新花巻から、釜石線で21駅。さらに釜石から2時間に1本の三陸鉄道リアス線に乗って、2駅先の鵜住居(うのすまい)が最寄り駅となる。W杯クラスのイベントでもなければ、この距離感を踏破するのはいささか容易ではない。
02年のサッカーW杯では、地方都市に多くのスタジアムが建設されたが、アクセスの難易度や使い勝手の悪さで、今も集客に苦戦している施設は少なくない。隣県の宮城では、W杯3試合が開催されて以降、しばらく活用されないまま半ば「負の遺産」となっているスタジアムもある。今回のラグビーW杯が既存のスタジアムを活用しているのは、間違いなく17年前の反省を踏まえてのものであろう。そんな中、新スタジアムを唯一建設した釜石は、未来に向けてどのようなビジョンを抱いているのだろうか。2人の「当事者」から話を聞いた。
「W杯を契機に多様性と包摂の街に」
釜石市オープンシティ推進室長の石井重成さん。7年前に釜石に移住し、持続可能な街づくりの可能性を追求している 【宇都宮徹壱】
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釜石に来たのは「たまたま」です。もちろん、7年もここで暮らすとは思っていなかったですよ。最初は「被災地のため」と思って自分を鼓舞していたのが、いつしか「自分がやりたいからやっている」に変わっていたんですね。その変化を初めて自覚したのが、釜石ラーメンを食べていた時。こっちのラーメンは醤油味で、もともと苦手な味だったんですよ。でも、何度か職場の人たちに誘われて一緒に食べているうちに、苦手だったことを忘れている自分にふと気づいたんです。それと同じ感覚ですよね(笑)。
釜石市オープンシティ推進室は4年前にスタートしました。現在は僕を含めて5人。教育、移住、起業、企業研修など、地方創生を分野横断的に推進しながら、地域内外の人の動きを促していくことを目的としています。今回のW杯での関連で言えば、イベント民泊という仕組みを作りました。民泊というのは手続きのハードルが高いんですが、W杯のようなスポットで自治体が宣言すれば、手続きを簡素化できます。この仕組みを使ったら33世帯から申請がありました。これは(ひとつの自治体では)国内最大の数です。
7月の日本対フィジーの試合は、たくさんの方々が来てくれて感動しました。交通に関しては一般の車は入れず、三陸鉄道とシャトルバスを使って滞りなくお客さんを運ぶことができました。ただスムーズすぎて、釜石にとどまる人があまりいなかったのは課題だと思っています。大会期間中、釜石での開催は2試合だけですが、それが限界かもしれませんね。他の会場と比べると、圧倒的に規模が小さいですから。むしろこの機会に釜石に来ていただいて、その後もリピーターになる方が増えればいいかなと思っています。
釜石市民にとって、インバウンドは初めての経験となります。大勢の外国人が来たら、最初は面食らうでしょうね。でも、受け入れようとする変化も見られます。例えば釜石を走っているすべてのタクシーは、カード決済ができるようになりました。これは県内で初めてです。街中のお店もキャッシュレス対応が増えています。なぜそうなったかというと、W杯が開催されるからですよ。もともと企業城下町ですから、よそ者を受け入れる土壌もあります。このW杯を契機に、釜石が多様性と包摂の街になることを期待しています。