連載:エディー・ジョーンズが語るラグビーW杯の記憶

参謀エディーが発揮した「異質の力」 南アに攻撃志向を与え、W杯優勝に貢献

竹鼻智
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2007年フランス大会

07年W杯はジェイク・ホワイト監督(左)の参謀として南アフリカの優勝に貢献 【Getty Images】

 南アフリカが2度目の優勝を遂げた2007年フランス大会だが、準々決勝で優勝候補のニュージーランドがフランスに敗れる、という波乱を覚えているファンも多いのではないだろうか。この試合、後半に負傷退場したニュージーランドのダン・カーター(スタンドオフ/18年よりトップリーグ、神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ所属)は、試合終了の笛をベンチで聞くこととなった。大きな期待と注目を集めた、大会最大のスター選手がベンチで悔し涙を流す姿は、時に無情な勝負の世界を物語っていた。

 そして、この大会を制した南アフリカ代表には、07年からテクニカルアドバイザーとしてチームに参加していた、エディー・ジョーンズ氏の姿があった。南半球のライバル国であるオーストラリアから、ワールドカップ(W杯)イヤーにやってきた名将は、この大会をどのように見ていたのだろうか。

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南アフリカは新しいアイデアを求めていた

――自身が05年まで代表監督を務めていたオーストラリアのライバルチームである、南アフリカ代表でのコーチングスタッフ入り。W杯で対戦する可能性があることを心配しませんでしたか?

 私がオーストラリア代表監督の職を離れたのは、オーストラリアラグビー協会の判断であり、私の判断ではありません。当然、私は次の仕事へと舞台を移していき、そのなかで、このタイミングでの南アフリカの仕事があったというだけのことです。私はプロとして、常に高いレベルで仕事を続けられるよう、日々努力を重ねています。その結果、自分がコーチングスタッフとして関わっているチームが、オーストラリアとW杯で対戦することになったとしても、それが問題になるとは思いません。

――しかしながら、オーストラリア、南アフリカの両国で、当時は大きな話題となったこの仕事への就任。どういった背景で実現したのですか?
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著者プロフィール

1975年東京都生まれ。明治大学経営学部卒、Nyenrode Business Universiteit(オランダ)経営学修士。2006年より英国ロンドンに在住し、金融機関でのITプロジェクトマネジメントとジャーナリストの、フリーランス二足の草鞋を履き、「Number Sports Graphics」(文藝春秋社)、「ラグビーマガジン」(ベースボールマガジン社)、「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)へのコラム執筆など、英国・欧州の情報を日本へ向けて発信。

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