連載:指導者のエゴが才能をダメにする ノムラの指導論

なぜ大成しない「甲子園の優勝投手」――過去の栄光を捨てよ 野村克也の指導論

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第3回

平成以降では、プロで100勝以上挙げた甲子園優勝投手は松坂大輔と田中将大(駒大苫小牧高2年時)の2人のみ。甲子園優勝投手がプロで活躍したケースは多くないのが現状だ 【写真は共同】

 甲子園の優勝投手――こう聞くと、野球界のなかでもエリート中のエリートのように思える。けれども、甲子園の優勝投手が、プロ野球の世界に入って大成するとは限らない。

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 たとえば平成以降に入団してから100勝以上挙げた甲子園優勝投手と言えば、松坂大輔(中日・2018年シーズン終了時点で日米通算170勝)と田中将大(ニューヨーク・ヤンキース・2018年シーズン終了時点で日米通算163勝)の2人しかいない。
 名球会に限って言えば、未だに平松政次(まさじ/岡山東商のエースとして、1965年の春の第37回選抜野球大会で優勝)しかいないところを見ると、「甲子園の優勝投手=プロの世界で大成する」という図式は、もはや成り立ちにくい構図であるとも言える。

 私の現役時代、甲子園の優勝投手とまったく縁がないわけではなかった。1965年に福岡県の三池工業の2年生エースだった上田卓三という選手が、66年のドラフト1位で(南海に)入団してきた。カーブやスライダー、シュートを駆使して、どちらかというと軟投派の投手だったように記憶している。
 だが、力量的に言えば、チームのエースを張れるまでのものはなかった。それゆえに27歳のときに阪神にトレードされ、30歳のときに再び南海に戻ったものの、その年限りで引退している。彼を間近で見ていて、
「なんだ、甲子園の優勝投手って、必ずしもプロで大活躍できるものじゃないんだな」
 と感じたことを、今でも記憶している。
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