- 田坂友暁
- 2019年7月30日(火) 17:15

2年に一度、各国からトップスイマーが一堂に会する世界水泳が終わった。結果だけを見れば、競泳日本代表「トビウオジャパン」の面々は、金メダル2、銀メダル2、銅メダル2の合計6つのメダルを獲得。さらに、女子は8種目、男子は10種目、混合は1種目の入賞を果たし、上々の結果だったと言える。
過去、五輪前年に行われた世界水泳代表選手が、そのまま五輪で活躍するケースが多い。あらためて、2012年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪の2大会と、その前年の世界水泳の結果から、来年に控えた東京五輪の展望を読み解いていきたい。
上海の勢いを持続させたロンドン五輪

11年、中国・上海で行われた世界水泳。寺川綾と北島康介、堀畑裕也、松田丈志に、まだ現役として戦い続けている入江陵介(イトマン東進)の5人で合計6つのメダルを獲得。金メダルこそなかったが、14種目(リレーを除く)もの入賞を果たし、翌年のロンドン五輪に向けて好発進したと言える大会だった。
その結果、世界水泳でメダルを獲得した松田が200mバタフライで銅メダル、入江が100m背泳ぎで銅、200m背泳ぎで銀メダルを獲得。さらに寺川が100m背泳ぎで銅メダル獲得と、世界水泳で得た勢いをきっちりとロンドン五輪につなげた形だ。そこに、世界水泳で結果が残せなかった悔しさを晴らすように、鈴木聡美(ミキハウス)と立石諒、星奈津美の3人がメダルを手にした。加えて、当時高校生だった萩野公介(ブリヂストン)が、マイケル・フェルプス(米国)を破るという快挙を成し遂げ、銅メダルを獲得。彼らのほとんどが、自己ベストを更新してのメダル獲得だった。
付け加えておくと、フェルプスが引退するまでの間に、彼の前を泳いだ日本人選手は、萩野ただひとりである。それと、上海世界水泳で堀畑が個人メドレーで日本人初となるメダルを獲得したことが、「日本人も個人メドレーで戦えるんだ」という思いを持たせたことを忘れてはいけない。