指導者・今岡に流れる“星野イズム” 選手に求めること、自身の未来像とは?
PL学園高から東洋大に進学し、逆指名でのドラフト1位で阪神に入団した。だがプロ入り後しばらくは、低迷を続けるチームの中で自身も不遇の時を過ごした。
転機は2002年、星野仙一監督の就任だった。レギュラーを完全奪取し、翌03年は首位打者(打率.340)、05年には打点王(147打点)に輝き、2度のリーグ優勝に大きく貢献した。その経験は、二軍監督となった今に生きている。
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現役時代の転機、星野監督の教え
「とにかくやってみろ!」。阪神時代の星野監督の言葉が、現在の今岡監督の指導に生かされているという 【写真は共同】
最初は嫌でしたね。プロに入った頃、チームは最下位ばかり。だからグラウンドに出るのが嫌でしたね。他の球団の選手はよく「甲子園はいつも満員でいいね」って言うんですけど、「弱くて満員」って嫌なんですよ。「弱いんやから入らんといてくれ」と思っていた。そういう中で自分自身も結果が出なくて、「だからお前はダメだ」って4、5年は言われ続けて、自分も周りに文句ばっかり言ってました。
でも、星野(仙一)監督ですね。星野監督が阪神に来られて、最初に言われた。「なんかお前、クソ生意気らしいな」と。そして「好きなようにさしたるから、やってみろ」と。その時に分かったんですよ。ウジャウジャ周りに文句を言ってるのってすごい楽だなと。何故かって、全部言い訳にできるから。でも実際に「やってみろ」と言われたら、もう逃げ場がない。自分の好きなようにやって結果が出なかったら、もう「辞めます」って自分から言うしかない。その時の「やるしかない」という気持ちは、すごく覚えてますね。
――星野監督が就任して2年目の2003年に首位打者に輝き、チームは18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。ご自身の中でも充実したシーズンだったと思いますが?
もうね、自分の野球人生の中で、星野監督が来てからの2年間は、思いっきり練習しましたし、思いっきり野球のことを考えたと断言できる。間違いないですね。「ゴチャゴチャ言っとらんと、とにかくやってみろ!」っていう監督でしたから、こっちもとにかくやるしかない。
ホント、「ウジャウジャ言ってるのって楽だな」と思いましたよ。今でも選手たちがウジャウジャ言う気持ちはすごく分かる。でも自分もそうでしたけど、そうしている間は結果を出せない。星野監督の指導から学んだもの、自分がどうだったという経験も踏まえて、今、選手たちには「とにかくやってみろ!」と言うようにしています。
「どんな選手にもチャンスがある」
「自分が輝けるチャンスはいくらでもある」と力を込めて話す今岡監督 【花田裕次郎/ベースボール・タイムズ】
大事なのは諦めないこと。1シーズンの中で、1試合の中でもそうですけど、どんな選手でも必ず「お前いい仕事したな!」っていう瞬間、プレーが絶対にある。全員が全員レギュラーにはなれない。不動のレギュラーと呼ばれるような選手は、チーム全体からすると1割ぐらい。それは仕方がない。
だけど、レギュラーじゃなくても、今二軍にいても、働き場所というのはいくらでもあるし、チャンスはなんぼでもある。どんな選手でもチャンスはある。そのチャンスで打って、抑えることができたら、この世界は給料が上がるんですから。自分が輝けるチャンスはいくらでもあるということを、選手たちには分かってもらいたい。
――二軍での下積み時代というのは、その後の活躍、野球人生において大事になると思いますが?
そうですね。当然、みんなプロに入ってすぐに試合に出たい。高卒であろうと大卒であろうと、1年目から一軍で活躍したいと思う。だけど、やっていることすべてに意味がある。そう思えれば、そう思って取り組んでいれば、いずれ必ず結果につながる。考え方ひとつだと思います。「なんだよ」と文句ばっかり言ってやるか、「いずれは俺が」と思って日々を過ごすかでは、同じ練習、同じメニューをしていても、差がついてくる。それは見るだけで分かります。日々、どういう姿勢で野球に取り組んでいるかが大事になる。