東京2020で活躍期待の車いすテニス 眞田卓「金メダルは日本人で争いたい」

瀬長あすか

“テニスの魅力”を味わえるパラスポーツ

眞田は2大会連続でパラ出場を果たしている、車いすテニスのトップ選手だ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 世界で日本選手が活躍するスポーツ、車いすテニス。2バウンドの返球が認められている以外は、一般のテニスとほぼ変わらない。使用するコート、ネットの高さ、用具も同じで、スピーディーな試合展開、迫力あるショットやラリーの応酬など、まさに“テニスの魅力”を味わえるパラスポーツだ。

「最近、車いすテニスという名を知らない人はあまりいないと思うけれど、実際に生で見たことがあるという人は少ないのではないでしょうか。車いすの迫力、ボールの勢い、戦術、メンタル……生で見たら想像を超える迫力を感じられると思いますよ」

 そう語るのは、2012年のロンドン、16年のリオパラリンピックに出場した車いすテニスプレーヤーの眞田卓(さなだ・たかし)。世界屈指のパワフルなフォアハンドを武器とするトップ選手のひとりだ。

 今回は、陸上・十種競技の元日本チャンピオンでタレントの武井壮さんが、車いすテニスを体験するというNHKの撮影現場に同行。東京パラリンピックで活躍が期待される眞田の進化の過程を紹介する。

26歳で訪れた転機

インタビューに答える眞田。最初は「楽しむ」スポーツとして車いすテニスに触れたが、周囲に背中を押されてパラリンピックを目指すことに決めたという 【スポーツナビ】

 車いすテニスには、性別や障がいの種類と程度によって分けられた3つのクラス=下肢障がいの「男子」「女子」、下肢だけでなく上肢にも障がいのある男女混合の「クアード」があり、パラリンピックなどの大会ではそれぞれシングルスとダブルスが行われる。

 その「男子」にはロンドンパラリンピックなどで金メダリストを獲得した国枝慎吾という日本のレジェンドがいるが、国枝の背中を追い、世界ランキング9位に位置しているのが眞田である。

 眞田は19歳のときにバイク事故で右大腿部を切断。ソフトテニスの経験を買われ、(現在、クアードで国内ランキング1位の)車いすテニス選手・菅野浩二から誘われたのがきっかけで、楽しむスポーツとして車いすテニスに取り組んだ。

「ケガをしたころは障がい者としてどう生きていけばいいか、右も左もわからなかったので、障がい者のコミュニティーとして車いすテニスに居場所を求めました。競技を体験した直後にテニス用の車いすが送られてくるなど、若い僕への周囲の期待を感じたのも事実です。でも、当時は始めたばかりの仕事も面白かったし、時間的にも金銭的にも世界を転戦する余裕なんてありませんでした」

 車いすテニスは、一般のテニスのように選手が世界を転戦するのも特徴だ。パラリンピックやグランドスラムには、世界ランキングのポイントを積み重ねた、選ばれし者しか出場できない。この頃、眞田はまだ世界を目指して環境を整えようとまでは考えていなかった。

 転機は26歳のとき。08年の北京パラリンピックでシングルスの金メダルを獲得した国枝がプロ宣言し、車いすテニスがニュースなどにも取り上げられ、その知名度が上がってきた頃だ。眞田は会社や周囲に背中を押され、ロンドンパラリンピックを目指すことを決意。11年からツアーに参加するようになり、世界ランキングを徐々に上げていった。

「パラリンピックはロンドンに初出場し、16年のリオではシングルスがベスト16、ダブルスは4位でした。メダルを取れなかったので、もう選手を辞めようと思っていましたが、車いすテニスの普及活動をするなかで、選手である僕が出向くことで喜んでくれる子どもたちの姿を見て、次の東京まで現役選手を続けてみようって思ったんです」

 かくして世界最高峰への挑戦は再び、始まった。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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