連載:ただ、ありがとう「すべての出会いに感謝します」

新井さんが41歳までプレーできた原点 猛練習、罵声、正座でファンから失笑も…

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“ポスト江藤”の試練

引退セレモニーでチームメイトから胴上げされる新井氏。41歳までプレーできた理由は? 【写真は共同】

 1年目は53試合に出場。打率は.221だったが、一軍に居続けたことで数多くの収穫があった。一軍の1打席と、二軍の10打席なら、一軍の方が勉強になり、自分自身の血や肉になる。当時はそこまで思いが及ばなかったけれど、大下(剛史)さんは当然、そういうことも考えていたと思う。「コイツを一軍で使い、何とか経験を積ませてやりたい」。そんなふうに考えてくれていたと思う。

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 打率こそ低かったが、7本のホームランを打ったことで、僕はメディアから「将来の四番候補」と書かれるようになった。1年目のオフ、江藤(智)さんがジャイアンツへFA移籍したからだ。カープの四番を長く務めた長距離砲。その後任候補に名前が挙がり、「ポスト江藤」とも言われた。

 サードで猛練習した。それも言われるがままだった。いつだったか、大下さんから、グラブの網の部分、いわゆるウェブを取り除くように命じられた。意図はわからなかったが、言われたら従うしかない。以来、網のないグラブを持ってノックを受けた。当然、打球なんて捕れるはずがない。開幕後も練習を続けていた。

 そんな時だ。遠征でやって来たヤクルトの宮本慎也さんに声を掛けられたのは。
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