東邦・石川昂弥、出来過ぎのストーリー 「楽しむ姿勢」から生まれた大記録

楊順行

幾多の快挙を果たした「スーパースター」

ナインに胴上げされる石川(写真中央)。「楽しむ姿勢」から生まれた快挙だった 【写真は共同】

 そしてこのセンバツ。1、2回戦に続いて準々決勝の筑陽学園(福岡)、準決勝の明石商(兵庫)と、チームは一度も相手にリードを許すことなく勝ち上がり、習志野(千葉)との決勝である。

 投手としての石川は準決勝まで、4試合31回を投げて自責点4の防御率1.16と、安定感のある投球を披露。打者としては16打数3安打4打点と、ちょっと物足りない数字での大一番だったが、結果から書く。投げては9回を3安打で、二塁を踏ませない自身公式戦初完封。打っては初回、バックスクリーンへの先制2ランに、5回には右中間へのダメ押し2ランを放つなど3安打4打点。投げて打って、まさに石川の独壇場だった。6対0。「とくに1本目はモノが違いました。一枚も二枚も相手が上」(習志野・小林徹監督)という完勝だった。

 試合後の、石川。

「正直、大会前は優勝できるとは思っていませんでした。ただ、2回戦で広陵に勝ってからは、自分たちの野球ができればもしかしたら……と思ったし、実際に自分たちの野球ができたことが優勝につながったと思います。森田監督からは『おまえが一人で投げて抑えて、打って勝て』と言われていましたが、今日は完封よりホームランのほうがうれしいですね。入学したときは、ピッチャーをやるなんて考えていませんでしたから」

 やっぱり、楽しそうだ。

 それにしても、出来過ぎのストーリーである。平成最後のセンバツ大会で、平成最初の大会に優勝した東邦が優勝して締めくくるのだから(もっと言うと、昭和最後のセンバツ決勝で敗れたのも東邦で、そのスコアはこの日と同じ6対0だった)。東邦はこれで、センバツ56勝となり史上最多。5回目の優勝は単独トップだ。さらに、スタンドから「平成最後のスーパースター」と声をかけられた石川は、大会通算3本塁打、1試合2本塁打の記録でも大会タイに並んだ。しかも石川の父・尋貴(ひろたか)さんは89年に、東邦野球部の一員として優勝を経験している。

 そして、蛇足ながら……一夜明けた4月4日は、腎移植から復帰した森田監督の、60回目の誕生日である。

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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