『華麗なる甲子園一族』龍谷大平安・奥村 大胆にホームランにこだわる理由

楊順行

祖父、父、兄に次いで甲子園出場を果たしている龍谷大平安・奥村。2年生の彼が大胆にホームランを狙う理由とは? 【写真は共同】

「布施!」

 センバツ準々決勝第2試合。龍谷大平安(京都)に延長11回サヨナラ勝ちした明豊(大分)の左翼手・布施心海は、試合終了のあいさつが済むと、平安の三塁手・奥村真大に声をかけられた。

「ありがとうな」

 布施と奥村は、中学時代からの知り合い。奥村が草津シニア時代、最後の試合で敗れたのが布施のいた豊中シニアだ。布施はこう振り返る。

「奥村の最後の試合では、僕がホームランを打っているんです。その奥村と、甲子園でまた試合ができるなんて……。シニアのとき、監督から『あのショート(奥村)はすごくうまいぞ』と聞いていましたが、そもそも有名な選手なので、知ってはいました」

 そう。奥村はいわば、『華麗なる甲子園一族』なのである。

祖父から3代、甲子園の土を踏む

 祖父・展三氏は元衆議院議員で、監督として甲賀(滋賀)を率い、1968年のセンバツに出場している。その長男・伸一氏は、甲西(滋賀)のメンバーとして85、86年夏の甲子園を経験。初出場だった85年にはベスト4に進んで甲西旋風を起こし、86年には三沢商(青森)との開幕戦でホームランを放った。現在は、母校の監督を務めている。さらに真大の兄・展征(東京ヤクルト)は、13年夏に日大山形で甲子園に出場し、日大三(西東京)戦でホームランを放っている。甲子園の親子ホームランは、史上2組目だ。

 そして、奥村本人。昨夏は、1年生として甲子園の土を踏んでおり、つまり奥村家は祖父から3代、甲子園で試合をしていることになる。父のチームでプレーする、という選択肢はなかったのか。

「兄も県外に行きましたし、父は、自分の学校に来てほしかったようです。ただ、頭のいい学校で、入学したとしたら勉強も大変で、野球に集中できなくなると思って、平安に進みました。父も、『甲西じゃなかったら、(滋賀)県外に出たらどうだ』と話していましたから、息子のチームと戦うかもしれないのはイヤだったようです」

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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