「足が動くまで」の想いとは裏腹に 松井稼頭央が悟った自らの引き際
「45歳まで続けたかった」と話す松井稼頭央。なぜ心が引退に傾いたのか? 【撮影:熊谷仁男】
松井は投手としてプロに入るも、入団直後に内野手へ。さらに右打者からスイッチヒッター(両打ち)、フリー・エージェント(FA)権を行使しアメリカ・メジャーリーグに移籍、2014年に39歳で外野手転向など、そのプロ野球人生はまさに“挑戦”の連続だった。「チャレンジをしていた記憶しかない。その積み重ねが、最後の最後に大きなものになった」と松井は語る。“引退”を機に、その胸に去来する想いとは。改めて、じっくりと半生を振り返ってもらった。
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登録抹消でフッと抜けた自分の気持ち
引退記者会見であいさつする西武の松井稼頭央外野手=2018年9月27日、メットライフドーム 【共同】
いつかはその時が来ますが、それでもずっと現役ができるなら、現役をやっていたいなという気持ちもあります。でも一方で、野球は個人スポーツであって、個人スポーツではありません。チームスポーツですから、自分だけの想いというのは難しいですし、それが無理なこともわかっています。ただ、それでもやはり、“その日”が来た時というのは寂しいですね。「とうとう来たな」と。
――若い頃にイメージなさっていた引退する時のご自分の姿と、実際にお辞めになった時の姿は、同じでしたか?
全然違いますね。まず、入った当時に引退のことは考えないですから。プロに入って、どうプロで生きていくか。どうやって一軍に上がり、活躍をしていくかということばかりを考えていました。ただ、入ったばかりで、この世界のことは知らないなかで、漠然と「20年間プロの世界で頑張りたい」とだけは思っていました。一軍に上がることに関しても、「3年目に一軍に上がりたい」という目標を持ってやっていました。
僕は(高卒入団で)18歳だったので、20年やれば38歳です。当時は、「だいぶおっちゃんやな〜」と思っていましたが、実際に自分が38歳になってみると、38歳でも若い人は若いなと思いました。ただ、18歳からはそう見えていたんだなと思うと、25年って、やはりすごく長いですね。
――現役選手ではなくなり、最も感じていることとは?
辞めてから、トレーニングをまったくやらなくなりました。現役の時は、表向きは「夏場のために鍛えます!」などと軽口を言っていたのですが、僕は本当によくトレーニングをやっていました。それがもし、ただ筋肉をつけたくてトレーニングをしていたのであれば、まだ続けているはずですが、そうではない。少しだけやったのですが、次に向かう目標というか、来るものがなくて……と思うと、改めて「本当に野球のためにトレーニングをしていたんだな」と、より強く感じます。
――昨年9月途中に登録を抹消になった時に引退を決めた、とおっしゃっていました。決断に至るまでにどのような気持ちの揺れ、葛藤があったのでしょうか。
毎年毎年、「そろそろかな」と思ってやっているところもありました。自分の成績などをいろいろ見ていくと、普通ではなかなかそこまで長く契約してもらえない。自分のなかでも「今年勝負、今年勝負」と、38歳ぐらいからずっと思っていました。理想としては45歳まで、と思うのですが、現実を考えていくと、まずこの1年やれないと、次の1年を契約してもらえません。長いスパンで見るよりも、「1年1年が勝負」だと思ってやってきていました。
そのなかで、昨年開幕からずっと一軍にいて、初めて抹消されて、「そろそろ潮時かな」というふうには感じました。抹消されてからも兼任コーチとして一軍に帯同し、まずは自分の体調を整え、若い選手の相談に乗ったり、コーチ陣と選手との間に入るみたいな感じで10日間を過ごしたのですが、本来だったら、登録抹消されたらファーム(二軍)に行きます。そこで、「もう1回一軍に上がろう!」という気持ちになるものですが、あの時は、なんかフッと抜けたんですよね、気持ちが。
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