篠山竜青、バスケ一家に生まれて…川崎ブレイブサンダース司令塔の少年時代
全国大会を前に骨折、家族はそっと支えた
小学生のときに左腕を骨折。落ち込む篠山を母だけでなく兄、姉も励ましてくれたから、今がある 【Getty Images】
「元気がないとバスパン(バスケットパンツ)を買いに行こうとか、バッシュ(バスケットシューズ)を買いに行こうかとか、そういう物で釣ってはいました。子どもは格好いいものを着せればその気になりますからね(笑)」
小学5年生になった竜青はチームの主力となり、3月末に代々木第一体育館で開催される晴れの全国大会出場に貢献した。しかし、ここでも彼を試練が襲う。
幸子さんは当時を思い出す。
「1月に出場を決めて、3月に練習試合があったんです。そうしたらルーズボールに突っ込んでいって利き手の左腕を折ってしまった。あのときはみんなでへこみました。竜青は家に帰ってきて、ソファーに座って『僕は何も悪いことをしていないのに』って泣くんですよ」
復帰まで6カ月もかかる重傷で、全国大会出場の夢はついえた。母は失望する息子を慰め、このような言葉で励ました。
「竜青は何も悪いことはしていないけれども、バスケットの神様が今、このケガをさせたのだと思う。神様は竜青のずっと長い先を考えて、こういう試練を与えたのだから、乗り越えたらきっといいことがある。ここを頑張んなくちゃね……と言ったのを覚えています」
家族も優しく弟を守った。幸子さんはこう言葉を続けた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんのふたりはその頃、夜もバラバラに夕飯を食べていたりしたんです。でもそこから1週間くらいはちゃんと帰ってきて、竜青と一緒にご飯を食べてそばにいました」
篠山自身はかなり時間が経ってから、その優しさに気づいたという。
「なぜか分からないけれど最近、夜ご飯に家族全員がそろうなと思っていた記憶はあります。直接励まされた記憶は残ってないですけど、お兄ちゃんお姉ちゃんなりに気遣いはあったんだなと、今思えば感じますね」
ただ竜青が小学6年生になると、再び事件は起こる。彼はキャプテンを任されるようになったが、チーム状況は大きく変わっていた。上級生が卒業した一方で、同学年は選手数が少なく、周りのレベルも前年度ほどは高くはなかったのだ。
すると、少年の気持ちは揺らいでいった。
<後編に続く>
(企画構成:SCエディトリアル)
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【中村博之】
1988年7月30日生まれ。神奈川県出身。川崎ブレイブサンダース。ポイントガード。背番号7。178センチ/78キロ。北陸高校3年でウインターカップ準優勝を経験し、自身も大会優秀選手に選出。日本大学を経て2011年に東芝入社。NBLでは2013−14シーズン、2015−16シーズンの優勝に貢献した。チームは2016年秋に川崎ブレイブサンダースとしてプロ化。現在はチーム最古参としてB1屈指の強豪を引っ張っている。日本代表の初招集は2016年3月。歴代の代表ヘッドコーチから信頼を受け、W杯中国大会に向けた予選ではキャプテンも任されている。試合のコントロール、得点、守備とオールラウンドな能力を持つポイントガード。