連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

栃木ブレックスのエース比江島慎は、亡き母との約束をかなえるため兄と歩む

矢内由美子

仲の良かった兄弟は中高とすれ違う……

一対一での抜群の強さは、小学生時代に兄と公園で行った“決闘”によって培われた 【佐野美樹】

 ミニバスの練習がない日、兄弟は自転車でバスケットゴールがある公園まで出かけて、ふたりで一対一の“決闘”をしていた。当時住んでいた地域では、一軒家の庭にマイゴールを設置している家庭も珍しくなかった。古賀市内の団地に住んでいた比江島兄弟も、マイボールを持って公園に繰り出した。暗くなるまで一対一を続けているうちに、どんどんとバスケはうまくなっていき、身長も順調に伸びていった。

 比江島が小学校を卒業するとき、福岡市百道中学校のバスケット部に入るという話が持ち上がった。福岡はバスケが盛んで、百道中は強豪校だった。しかし、古賀市に住んでいた彼らにとっては学区外。そこで比江島は母・淳子さんに頼み込むと、家族3人で福岡市に引っ越すことになった。

 百道中に入学した比江島は、毎朝6時半に家を出て学校へ行き、朝練をしてから授業を受け、放課後は部活で汗を流した。「百道中に比江島慎あり」と、評判の選手になるのに時間はかからなかった。中学3年生のときはエースとして全国中学生大会に出場し、3位になった。この頃になると比江島の身長はもう180センチを超えていた。

 兄の章さんは当時の様子を「慎が中2か中3の頃には僕の身長を抜いていましたね。そのときや、慎が福岡の中学に行くとなったときは、少しうらやましい気持ちはありました」と振り返る。

 比江島は中学を卒業すると、京都の洛南高校に進んだ。福岡の強豪校である福岡第一高校や大濠高校からも誘いを受けたが、「そこでは試合に出る自信がない」ということと、文武両道という格好良さに惹かれて洛南高校を選んだという。京都には親戚がいて、そこに比江島は下宿させてもらった。

 比江島が、兄の章さんと距離ができたなと感じていたのは、中学から高校時代にかけてのことだ。3歳違いだと学校が入れ替わりになるので自然なことでもあったのだが……。

「中学のときも高校のときも兄ちゃんは一回も試合を見に来たことはないと思います。多分、お互いバスケをやっていて、兄ちゃんは上手かったけど、ケガも多くて、複雑な気持ちがあったと思うんです。僕は好き勝手に、中学から福岡市に行ったり、高校では京都に行ったりしていましたから、『なんでこいつだけ』という感情もあったのではないかと思うんですよね」

 兄弟だから感じ取ることのできる微妙な気持ちなのだろう。身長190センチまで伸びた比江島はこのように兄の心中を思いやる。

「僕は本当に運が良かったと思うんです。兄ちゃんも背は大きかったけど、僕よりは低い。でもチーム事情でセンターのポジションをやらなきゃいけなかった。僕は、常にチーム内に背の高い選手がいたので、ずっと、フォワードなどのポジションをやらせてもらった。だから、兄ちゃんは我慢して我慢してバスケをやっていたのかもしれないですね」

<後編に続く>

(企画構成:SCエディトリアル)

【佐野美樹】

比江島慎(ひえじま・まこと)
1990年8月11日生まれ。福岡県出身。栃木ブレックス。シューティングガード。背番号6。190センチ/88キロ。洛南高校、青山学院大を経て、2013年にシーホース三河に加入。2018年7月に栃木ブレックスへ移籍したが、同年8月にはオーストラリアのブリスベン・バレッツへさらに電撃移籍した。豪州では出場機会に恵まれず、2019年1月9日に再び栃木ブレックスに加入。Bリーグでは今季1試合平均得点9.1(2月10日現在)をマーク。日本代表としてもW杯2次予選ではここまで全10試合に出場してチームをけん引。小学生時代に兄との練習で培った一対一に抜群の強さを見せる。

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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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