連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

栃木ブレックスのエース比江島慎は、亡き母との約束をかなえるため兄と歩む

矢内由美子

母は厳しくも、周囲に気配りができる人

母子家庭で育った比江島。周囲に気配りできるのは、昨年亡くなった母親譲りだという 【佐野美樹】

 現在も見せる一対一の強さは、古賀ブレイスが原点だ。こうして比江島兄弟はどんどんバスケにのめり込んでいく。弟の目から見て、3歳上の兄の章さんは「バスケが上手」だった。

「憧れ……だったかな(笑)。休みの日とかはしょっちゅう一緒にバスケをしに行っていましたし、兄とやっているときはすごく負けず嫌いでしたね」

 小学生の頃は一緒に過ごす時間が多かった。『プレイステーション』を買ってもらったときはふたりともゲームにはまり、『ウイニングイレブン』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』に興じた。

「ゲームで遊んでいても、兄ちゃんにはボコボコにやられていましたね。だから怖かったですよ。原因? よくあるじゃないですか、『慎、リモコン取れや』みたいな。僕が『いや、自分で取れや。バーカ』と言うとボコボコにされて……。うちは母子家庭だったので、家にふたりで留守番。僕はしょっちゅう泣いてはお母さんに『お兄ちゃんがいじめるー』と電話をかけていました」

 兄弟でよくある光景だ。

「お母さんはめちゃめちゃ厳しかったですよ。お手伝いをしないと、ご飯を食べさせてくれないんです。皿洗いに掃除、洗濯、それに買い物も。お母さんは仕事が大変で、家に帰って来たらもう疲れていたので、ご飯以外は僕らがやっていました。気づいたら、兄ちゃんと交代で当番を決めてやっていました」

 母の淳子さんは、子どもから見ても周囲への気配りがよくできる女性だった。その姿は比江島の目にこのように映った。

「とにかく何でも人のためにやっていました。人のためならもう、自分を削ってでも……」

 自分のことは二の次、三の次。

「僕もそういう性格です。周りのことはよく気がついて、何でもすぐにやる。自分のことはやらないんですけど(笑)」

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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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