前橋育英と桐生第一、2人のMFの物語 プロでも続く良好なライバル関係

安藤隆人

共に群馬県で生まれ育った秋山と田中

前橋育英の秋山(右)と桐生第一の田中は共に群馬県で育ったライバル同士 【安藤隆人】

 11月18日に行われた、群馬県予選の決勝・前橋育英vs.桐生第一の一戦。前回の高校サッカー選手権の覇者である前橋育英は、2連覇に向けての最初の難関を迎えていた。

 対戦相手の桐生第一は今年から同じプリンスリーグ関東に昇格し、プレミアリーグ参入戦進出枠である「3」を争うライバルであり、今季は新人戦決勝、夏の高校総体(インターハイ)予選決勝、関東予選決勝(前橋育英はBチーム参加)、プリンス関東前期・後期と5回対戦しており、この試合で実に6度目の対戦となった。

 4戦(関東予選決勝は除く)での対戦成績は桐生第一の2勝1分け1敗。両者の実力差はほぼなく、まさに全国トップレベルのガチンコ勝負となっている。そしてこのバトルに身を置いた2人のボランチが、ライバルとして決勝のピッチで激しくぶつかり合い、光り輝いた。

 前橋育英の秋山裕紀と桐生第一の田中渉。2人は共に群馬県で生まれ育ち、小学校時代から互いの存在を知る関係だった。

「小学生の頃から渉のことは知っていて、群馬トレセンでずっと一緒でした。中学時代は前ジュニ(前橋ジュニア)と前橋FCの2チームがメーンとなって群馬トレセンが作られていたので、そこでも渉と一緒にプレーしました。渉は(当時)サイドハーフとかトップ下で、僕はボランチだったので、ボランチコンビを組むことはなかったですが、ドリブルがすごくうまい選手でした」

 こう語る秋山は卒業後、アルビレックス新潟への加入が内定。そして田中はベガルタ仙台に加入が内定している。秋山はこう続ける。

「中学時代まではドリブルばかりのイメージだったのですが、高校に入ってからはパスも出せるようになって、去年と今年を比べても、もっと怖い選手になっていた印象があります。正直、今は『渉の方が上』という意識が自分の中にありました」

 だが、田中にとって秋山は常に自分の上にいるまぶしい存在だった。

「小学校のときから裕紀はずっと県トレでもスタメンで、僕はサブだった。常に僕より上の位置にいたので、すごく意識はしていました。中学のときもそれは同じで、裕紀がいる前橋FCは関東リーグで、僕らは県リーグだったので、チームとして戦うのは練習試合の数回だけ。僕の中で『前橋FCは強い』という印象しかなかったし、高校に入ってからも向こうはプリンス関東で、僕らは県リーグだったので、あまり戦う機会がありませんでした。なので、裕紀は常に『自分より上』の存在でした」

常に「先」を走っていた秋山の存在

田中にとって、秋山(写真)は常に「先」を走る存在だったという 【安藤隆人】

 互いを認め合い、切磋琢磨(せっさたくま)する。それが真のライバル関係となってマッチアップが繰り広げられるようになったのは、今年のことだった。それまでは田中が言う通り、秋山の方が常に「先」を走っていた。

「去年の選手権予選の準決勝で前橋育英とやったときも、裕紀は試合に出ていて、僕はベンチ。ベンチからプレーを見て『やっぱりうまいな』と思っていたし、僕は途中からわずかな時間だけ出場して、何もできずに前橋育英に負けてしまった。そしてあいつは選手権の決勝にも出場して全国制覇を成し遂げた。『裕紀はプロか、すごい大学に行くんだろうな』とずっと思っていました」

 実際に2人は2年時までは明らかに差があった。田中は高2になっても確実なレギュラーポジションを獲得できず、「プロという夢は持っていたけれど、大学に行って目指そうと思っていた」という。

 だが、ある出来事が2人の距離を一気に縮めるどころか、対等にさせた。昨年のプリンスリーグ関東参入戦で桐生第一が勝ち抜き、今年からのプリンス関東昇格を手にしたのだ。同じステージに立った2人は、ここから1年で5回も公式戦で激突することになった。さらに今年に入ってサイドハーフだった田中がボランチにコンバートされたことで、2人はポジションまでもが一緒になった。

「渉ならボランチも十分できると思っていたし、マッチアップする機会が増えるので、桐生第一と試合をする楽しみが増えたと思いました」(秋山)

互いを「自分より上」と認め合う2人

秋山よりも先にJ1仙台への加入が決まった田中。2人は互いを「自分より上」と認め合う 【安藤隆人】

 2人の最初の対決は、新人戦の決勝だった。開始早々に桐生第一は1人退場者が出る苦しい状況になったが、堅守でしのぎ切り、先制点を奪って逃げ切った。2回目の対戦はプリンス関東第5節で、前橋育英が2点を先攻するも、後半に桐生第一が同点に追いつき、2−2のドロー。3度目のインターハイ予選決勝では、前半に一気に3点を奪った前橋育英が3−0で勝利を収めた。4回目はプリンス関東の第15節で、田中の先制ゴールなどで桐生第一が2−0の勝利を収めた。

 この戦いの中で、秋山と田中は試合をコントロールする存在として重要な働きを担った。時には激しいマッチアップを見せて、バチバチにやりあっていた。そんな中、4度目の対戦直後に田中の仙台入り内定が発表された。

「今年に入ってプリンス関東で戦えるようになったし、一発目の新人戦で勝利したことで手応えを感じるようになりました。プロに関しては『インターハイに出ればチャンスはあるだろう』と思っていたのですが、予選の決勝で前橋育英に負けたことで、大学進学を考えていました。

 でも、プリンス関東でスカウトの方が観に来てくれたことが大きくて、ベガルタが声を掛けてくれたときはもういくしかないと思っていました。まさか裕紀と同じボランチになるとは思わなかったし、ボランチでプレーして、プロへのチャンスが開けるとは思わなかったです」

 プリンス関東というステージが自分の存在をJスカウトに知らしめさせた。秋山より先に田中がJ1クラブの内定を勝ち取ったことで、秋山の意識も大きく変化していった。

「ずっとポテンシャルが高い選手だとは思っていました。でも、まさかプロにいくとは思っていなかったので、自分にもすごく良い刺激になった。しかも同じポジションだし、あいつは『自分より上』という認識がはっきりと生まれました。だからこそ、僕も負けていられないと強く思いました」

 これが互いを「自分より上」と認め合った瞬間だった。そして、田中の内定発表から2週間後、秋山の新潟入り内定が発表された。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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