松本山雅を支え続けた「影の功労者」 チームアンバサダーが語る過去と現在

多岐太宿
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わずか勝ち点1差での歓喜

松本山雅で長らく主軸選手として活躍した鐡戸裕史。現在は株式会社松本山雅のスタッフとして活躍している 【多岐太宿】

 最終節を迎える時点で自動昇格を決めたチームが1つもなく、最後の最後まで予断を許さなかった今季のJ2。11月17日の徳島ヴォルティス戦に勝てば自力での優勝を果たせる松本山雅FCだったが、なかなかゴールを奪うことができない。ハラハラドキドキのままスコアレスドローで試合を終えたが、大分トリニータとFC町田ゼルビアが引き分けたことによって歓喜の瞬間が訪れた。

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 1万9066人の観客動員数を記録した、この日のサンプロアルウィン。優勝が決まって熱気が渦巻くなか、安堵(あんど)の息を漏らしたのが鐡戸裕史だった。まだ松本が地域リーグで戦っていた2009シーズン途中にチームに加入し、長らく主軸選手として活躍してきた。地域リーグからJFL、J2、J1と同一クラブに所属したまま4つのカテゴリーで試合出場を果たすという、隠れた大記録の持ち主でもある。2016シーズン限りでスパイクを脱いでからは、株式会社松本山雅のスタッフとして働いてきた。

「今季は実力が拮抗(きっこう)していて、どのチームにも(優勝の)可能性のあるシーズンでした。そのなかで松本山雅は2年前(2016シーズン)に勝ち点84を獲得しながらも自動昇格を逃していて、勝ち点1や得失点差1の重みを経験している選手が何人も残っている。またクラブとしても上積みがあったからこそ、あの悔しさを糧に昇格が果たせたと思っています」

 その言葉には説得力がある。今季の松本が積み重ねてきた勝ち点は77だったが、2位から4位までのチームが勝ち点76で並んだことを考えると、まさしく勝ち点1が大きな価値を持つ、紙一重のシーズンだったことが分かる。
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著者プロフィール

1976年生まれ、信州産。物書きを志し、地域リーグで戦っていた松本山雅FCのウォッチを開始。長い雌伏(兼業ライター活動)を経て、2012年3月より筆一本の生活に。サッカー以外の原稿も断ることなく、紙、雑誌、ウェブサイト問わず寄稿する雑食性ライター。信州に根を張って活動中!

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