松本・橋内主将が語るJ2優勝の裏側 山雅に持ち込んだ“橋内イズム”

元川悦子
 最終節を迎えるまで4チームに優勝の可能性があった今年のJ2。稀に見る混戦の中、頂点を射止めたのは松本山雅FCだった。ホームで徳島ヴォルティス戦に臨んだ松本は0−0で引き分け。勝ち点を77に伸ばし、クラブ史上初のJ2優勝と4年ぶりとなるJ1復帰を手繰り寄せた。

 歓喜に包まれたスタジアムの熱気が残る中、今回は主将を務めるDF橋内優也にインタビュー。1年間のチームの動きやキャプテンとしての役割、そしてサポーターへの感謝について語ってもらった。

松本をクラブ史上初のJ2優勝に導いた橋内主将にインタビューを行った 【元川悦子】

――J2優勝、J1昇格を古巣・徳島戦で決めたというのは、感慨深いものがあるのでは?

 そうですね。(昇格プレーオフで敗退した)山雅にとっては苦い思い出かもしれないですけど、(徳島所属だった)2016年に自分たちは清水(エスパルス)に負けて逆に昇格を決められたのを見ていました。またJ1にいた14年には最終戦でガンバ(大阪)に優勝を決められたので、カテゴリーは違いますが、いずれあの景色を見たいと思っていました。

 17年から山雅に来たのですが、自分が持っている選択肢の中ではその景色に一番近いチームだと思い、ここにチャレンジしに来ました。昨シーズンは不甲斐ない結果(8位)で本当に責任を感じていましたし、それが今シーズン、こうやって成果として現れて嬉しく思います。

――キャプテンになって大きな仕事をしたと思います。

 シーズンの序盤は逆に“一番勝ってないキャプテン”になるんじゃないかというくらい、自分のプレーもどうなんだろうと悩みそうな感じもありました。そこからポジションが変わることもあって、結局、今シーズンは右・左・真ん中と全部やりましたけれど、たくさん変わる中で少しずつチームが良くなっていって。最終的にこれだけ大混戦で何とか逃げ切れたというのは、1年間やり続けてよかったなと思います。

――ターニングポイントをいくつか挙げるとしたら?

 いろいろなところで言っていますけど、ホームでの最初の大宮(アルディージャ)戦(4月1日)。あの試合で勝てたのが大きかったですね。(編注:3月17日に甲府の本拠地・山梨中銀スタジアムでホーム扱いの試合を行っているが、松本平広域公園総合球技場で開催されたのはこの日が初めてだった)

 その前節が山口でのアウェー戦で、2−0で勝っているところからロスタイムで追いつかれたゲームと似たような感じで。1点2点リードしたところから、見られているサポーターの方も自分たちも「もしかしたら今日も」っていう状況になったところで、何とか勝ち点3を取れるゲームができた。

 選手もたくさん変わっていて、シーズン最初の1、2試合はフォーメーションを変えて1アンカーでやっていて、前のスタイルに戻したというのもあります。けれど、チーム自体このやり方で大丈夫なのかとか、本当に優勝、昇格を目指すのに、これ以上遅れを取れないという時期だったと思うので、そこで何とか勝ち点3を取れたというのは非常に大きかったと思います。

――藤田(息吹)選手が入って、チェルシーの3ボランチを反町(康治監督)さんは目指していましたからね。

 そうですね。

――それがうまく行かなくて戻したのがそのあたり?

 そうですね。あとはやっぱりウチは(前田)大然に依存するところがすごく大きいと思うので、彼が出場してない最初の方、自分たちも少し使ってほしいなってところは正直あったので。前に出せるし、足もあるので、彼の存在は今シーズンのチームにとって大きかったと思います。

――夏にかけてチームの完成度が上がり、早い段階で決まるんじゃないかって雰囲気も流れましたけど、夏の町田と横浜FCの連敗から少し苦しくなったと思いますが?

 結局、その辺から最後までずっと厳しかったです。今も言っていますけど、ベテランの僕たちが言ってることが正しいかどうか分からないですけど、やっぱり大然が代表で抜かれたりとか、あとは(前田)直輝(現名古屋グランパス)を抜かれたりとか、たくさんケガ人も出ましたし、僕自身もケガしている時期もありましたので、非常に苦しい時期ではありました。

――9月以降、得点が取れない中で、守備の頑張りが大きかった?

 そう言われるんですけど、それ以上に前線の選手たちが試合の中でやりたいことはたくさんあると思うんです。攻撃において、もうちょっとボールをつないだりとか、攻撃にウエート置きたいというのを我慢してやってもらっているところは正直あります。

 なので、自分たちが頑張ったからゼロの試合が多いというより、逆にそれだけ苦しい思いを前の選手がやってくれているので……。今日もそうですけど、前の選手がチャンスを決められないからそれで焦れて最後に失点して負けるのができないというか、僕はそうだと思っていたので。前の選手に我慢してもらってる分、自分たちがそんなワンチャンス、ツーチャンス逃されたくらいで焦れて失点するようなことはあってはならないと思ってたので、そういうところも全体的によかったと思います。

今季は34試合に出場。キャプテンとしてチームを引っ張るだけでなく、プレーヤーとしても反町監督のもとで決め細かさを磨き、安定感が出てきたと本人は語る 【Getty Images】

――キャプテンとしてチームにどう働きかけましたか?

 ゲームの中では特にないです。どちらかというとゲームの終わった後だったり、ゲームに向かう練習の合間に、「こうした方がいいんじゃない?」とか、「どう思っている」かっていうコミュニケーションはなるべく積極的に取るように意識しました。昨シーズンに来た時にそこのコミュニケーションが少ない感じがしてたので、今年は最初から意識していましたね。

――若い選手にも?

 そうですね。

――先ほども石原(崇兆)選手が「橋内選手がまとめてくれた」と言っていましたが、そのあたりは山雅に持ち込んだ“橋内イズム”ですかね?

 かもしれないです。徳島の時もそのような経験があるので。悪くなると誰かのせいにしがちでしたが、チーム全体は自分たちが……まあソリさん(反町監督)が率いていますけど、やってるのは選手なので。当事者意識をもうちょっと持たせるというか、自分たちがやってるからこそ、こういう成果になってるんだよってのに気付いて、変化できるかとかって。

 それを放棄して、みんなよく言うじゃないですが、矢印が自分にって、それができなくなって、監督が悪い、誰が悪いってなりがちなので、そうならないようになるべく「自分たちがやっているから、自分たちで少しでも良くしよう」というコミュニケーションができたらいいなと思ってやってました。

――反町さんとの出会いは橋内選手にとってどんな影響か?

 たぶんですけど、ソリさん自体は僕のことはそんなに、もしかしたら「ほしい」って言った選手じゃないと思うんですよ。

――橋内選手は頭がいいし、サッカーを知っているってよく言ってましたけどね。

 たぶん、それはこっちに来てからだと思うんですよ。だけど僕自身もスピードや身体的なところでごまかしていた部分がたくさんあって。そうじゃなくて、ソリさんに決め細かさを磨かれたうえで、自分で言うのもおかしいですけど、安定感が出てきたと思います。今までは、「ここにいれば相手選手もそんなに速くないから間に合うだろう」とか、そういう感覚があったんです。だけど、そういうものじゃなくて、先に準備することで全然変わるというのはここに来て学んだことだと思います。

――(サンフレッチェ)広島、徳島、山雅と3度目のJ1昇格ですが、意味の違いは?

 過去2回は、広島の時はほぼ戦力になってなかったと思いますし、徳島の時はプレーオフは出ましたけど、リーグでは10何試合しか出てないんです。そういった意味では年間通して稼働できて、力になれて昇格できたのが初めてのことなので、非常に達成感はあります。だからこそ、監督も言ってましたけど、来年厳しいというのが分かっているので、何とか(J1に)定着できるように、チームとしてもっと良くしていかないといけないと思います。

――それこそ、徳島でJ1を戦った時になかなか勝てなくて、橋内選手が初得点したことがニュースで「おっさんが得点」と出ましたもんね。そのくらい苦戦したから。

 はいはい。そうですね。そのくらい勝てないです。だからそれをみんなが気付かないといけないし、優勝したから簡単なことじゃないっていうのは、みんな分かっているので。だけど、もう1回シーズンが始まった時に厳しく最初からスタートダッシュを切れるように、トレーニングしていきたいです。

――このようなサポーターはなかなかいないと思いますが、メッセージは?

 やっぱり、自分たちの背中の後押しをしてもらってるのは間違いないと思います。今日も少し硬さがあったと思うんですけど、あれだけの人数が前節の栃木のアウェーもそうですけど、あれだけたくさんの数が来られると、自分たちがサボれない。これだけ応援してくれる人たちに暗い顔して帰らせるわけにはいかないので、そういうのも自分たちの励みになります。

――そこは今までのチームにはなかったこと?

 全然なかったです。全然っていうのはアレだけど、こんなに人数がいないから。だから、自分(の力)プラスアルファが出てきていると思います。
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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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