指導者として杉山愛が現場復帰 子育てとコーチ業、手探りする「働き方」

内田暁

7月、ウィンブルドンの“インビテーションマッチ”に出場した杉山愛(右)。現役時代はグランドスラムの女子ダブルスで3度優勝、シングルスでも世界ランク8位に到達するなど、世界のトップ選手として活躍した 【写真:アフロ】

 シングルス世界ランキング8位、ダブルスは1位。ツアー優勝はシングルス6勝、ダブルスは実に38勝を数える。また、足掛け16年グランドスラム・シングルスの舞台に立ち、その連続出場記録は62に到達。これは当時の最高記録として、ギネスにも認定された。

 2009年に34歳で現役生活に幕を引いた後、彼女はテレビ解説者なども務めながら、結婚、出産と充実のプライベートライフも送る。そして子供も3歳となった今、日本のトッププロの一人である穂積絵莉(橋本総業)のコーチとして、テニスの現場に戻ってきた。

 長く充実したアスリートとしてのキャリアを送り、引退後は公私ともに新しい世界に飛び込んできた杉山愛は、何を知り、何を見て、そしてこれから先、どのようにそれら得た財産をテニス界に還元しようとしているのだろうか――? そのビジョンを語ってもらった。

結婚、出産を経て 指導者としてテニス界に復帰

――今年は、ウィンブルドンの“インビテーションマッチ(元トップ選手たちによるエキジビションマッチ)”に出場されました。久々の観客の前での試合はいかがでしたか?

 いや〜楽しかったは楽しかったです。招待して頂けるのは光栄ですが、ただあまりにも、自分のイメージと体の動きが異なっていて(笑)。でもそこは、受け入れながらやりました。
 2017年の3月に大学院を卒業して、翌月の4月からパーム・インター・ナショナル・テニスクラブ(母親の房子さんとともに経営するテニスアカデミー)で、小学生から高校生までのジュニアを教え始めたんです。今年(18年)の2月からは(穂積)絵莉も見始めたので、指導者としてではありますが、自分がコートに立つ機会も増えました。

 するとやはりここが自分の居場所ですから、テニスにのめり込み出した自分がいたんです。その中で、「自分のプレーする姿を、人に見せるのも悪くないな」と思い始めたので、今回はウィンブルドンの招待試合も受けさせて頂きました。

――引退からテニスの現場に復帰するまで、時間が少し空きました。テニスとはどのような距離感だったのでしょう?

 距離感は、あえて取るようにしていたところもあります。指導に興味はあったので、ゆくゆくはという思いはありました。ただテニスへの愛が深いからこそ、中途半端な気持ちでは、コーチ業はできないことも分かっていたんです。ツアー生活を20年近く過ごした後なので、プライベートライフを充実させたいという思いもありましたし。幸いにも結婚して出産して……という、思い描いていたよりも少し時間はかかりましたが順当に行き、そこから指導者としての幅を広げるためにも、大学院に通いはじめました。

 ありがたいことに、テレビやラジオでの解説などいろいろなところから声を掛けて頂きました。向き不向きを手探りで見極めながら、時間は掛かったけれど5年くらい経った頃から、本当に自分のやりたいことに向き合えたなと思います。

――まだ現役だった頃から、自分の中で思い描く将来像はあったのでしょうか?

 指導者というイメージは、ざっくりですがありました。特に私自身、現役時代からさまざまなトレーニングをやったことで、体格には恵まれていないながらも体をフルに活用し、けがのないテニス人生を過ごすことができたと思います。それが自分の強みだとも思ったので、トレーナー業にも興味がありました。

 ただ、どうして自分が長く戦えたかと考えた時、気持ちの面が大きかったことに気付いたんです。技術的には、ボールの威力が私より高い人はごまんといたと思います。ただ私はツアー向きの性格だったというか、考え方や、“切り捨て方”というのか……いろいろなものをポジティブに捉えることが人より少しできたので、安定した成績を残せたのかなと思いました。
 ツアーでは、ちょっとした物事の見方をヒントとして、オンコート以外の時間をどう過ごすかが大きく影響します。なので自分には、そのあたりを見るのが向いているのかなと思いました。トレーナーは、「餅は餅屋」で専門家をチームに入れる方が良いでしょう。パフォーマンスは心技体のバランスなので、そこを整える役目が自分にはあるのかなと、最近ようやく感じ始めました。

手探りで切り開く「女性ならではの働き方」

指導に携わる穂積絵莉(右)は今季、ペアを組む二宮真琴とともに全仏オープン女子ダブルスで準優勝した 【写真:アフロ】

――その中で今年から、穂積選手を見るようになりました。どのような点を中心に指導されているのでしょう?

 今彼女は24歳。気持ちや考え方が、彼女を成長させるのに必要な時期に来ているのかなと思います。私自身も25歳の時にスランプがあり、それを乗り越えた時、本当の意味で選手としての一歩を踏み出せました。24〜25歳というのは、特に日本の女子選手にとっては、すごく揺れ動く時だと思います。今が重要な時期なので、物の見方や考え方、テニスも結果だけでなくプロセス重視の姿勢など、自分自身をしっかり知って欲しいなと思います。

――まだお子様も小さいなかで、コーチ業とのバランスは?

 今年に入って彼女からオファーをもらったのですが、私はまだ子供も小さいですし、ツアーにガッツリ出る準備もできていないので、「日本にいる時に手伝いはできるけれど……」というスタンスでスタートしました。ツアーには、アダム・ローンスブロウという英国人コーチがフル帯同して事細かに見てくれるので、行ける時には私もツアーに帯同し、3人で話し合いながらやっている状態です。
 実は私が大学院の論文にまとめたのも、そのような女性指導者の関わり方の提示だったのです。ですから私自身が、実地で試しているところもある感じで(笑)。女性ならではの指導者としての働き方もあるのではというのが、私の提案でもあります。

――最近は女性コーチも、そしてセリーナ・ウィリアムズ(米国)をはじめ母親の選手も増えました。大会側の受け入れ体制も変わったと感じることはありますか?

 グランドスラムでも、コーチの環境が最近は良くなったと思います。以前はコーチ用のロッカールームがなかったので、女性指導者は肩身の狭いところもありましたが、最近はそのあたりも充実しています。

 ただやはり、女性のワーク&ライフバランスは難しいですね。そこは簡単ではありませんが、選手としてやってきたからこそ、分かることや提案できることもあると思います。ウィンブルドンは、子供を預ける場所なども含めて、今は一番環境が良いですね。そのあたりはグランドスラム同士が、どこが一番か競っている側面もあると思います。

 ママさん選手もこれだけ多いので、整えなければ遅れを取るという風潮もある。そのような状況が生まれた背景には、選手の声も大きいと思います。例えば、セリーナが一言言えば物事も動きやすいし、それも必要だと思います。テニスは女性競技のなかでも、賞金しかり環境面しかり、パイオニアとして道を切り開いてきました。選手やコーチのことも考えた環境作りの面でも、そこはリーダーとしての役割を担っていると思います。

――今後、日本でもそのような環境面が整って欲しいという思いはありますか?

 そうですね。子供が小さいうちに復職するのは、どの現場でも難しいと思います。ただこうしてヨーロッパの大会などに来ると、男性の考え方一つにしても、日本は遅れを取っていると感じる部分もあります。「女性の活躍」という言葉ばかりが先行している感はあるので……。

 インターナショナルなスポーツの現場は、世界のスタンダードが反映されている場でもあります。そのような場所から現状を伝えることで、日本の環境も少しずつ変わっていけば良いなと思います。
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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