ギネス記録をつくった日本テニス界の女王・杉山愛
シングルスの最高位は8位
パワーテニスの全盛、次々と現れる10代の新星など毎年変わるテニス界の中で、杉山が残したグランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープン)シングルス62大会連続出場というギネス記録は、世界のトッププレーヤーであり続けた証明としてさん然と輝く。
4歳からテニスラケットを握り始めた杉山は、ジュニア時代からその頭角を現す。15歳の時、日本人としては男女通じて初となる世界ジュニアランキング1位に上り詰めると、92年10月に17歳でプロ転向を宣言。そしてWTAツアー本格参戦を始めた1994年6月のウィンブルドンで2度目のグランドスラムシングルス本戦出場を果たすと、ここから62大会連続出場の記録が始まった。
得意の両手打ちバックハンドと、どんな球にも食らいつくフットワークで、世界のトップと戦い続け、シングルスではツアー6勝を挙げた。2003年には日本人として伊達公子以来となる世界ランクトップ10入り(最高位は8位)を果たし、名実ともに世界のトッププレーヤーとして君臨した。
杉山本人がシングルスで印象に残っている試合と話すのは、06年ウィンブルドンの3回戦、センターコートで行われた元世界女王のマルチナ・ヒンギス(スイス)を破った一戦。フルセットまでもつれたこの戦いは、「自分の夢の舞台で、元世界女王を破った試合は印象に強い」と話す。また対戦相手となったヒンギスは、この試合の後「アイとは、もう二度と戦いたくない」とまで言わしめたほどだった。
ダブルスでは世界ランク1位に
惜しくも全豪オープン制覇はかなわず、4大大会全制覇とはならなかったが、09年には最後のパートナーとなったダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)とのペアで、準優勝に輝いている。
現役最後の大会となった東レPPOでもダブルス準優勝となり、最後までその力を出し尽くした杉山。引退後は、「ジュニアなど後進の指導をしていけたらいいなと思います」と“第2、第3の杉山愛”を育てたいと話すが、これからも日本テニス界の第一人者として活躍し続けるだろう。
<了>
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