これまでになかった日本代表の進化過程 「引き継いだもの」+「森保カラー」

飯尾篤史

森保監督が意識する「ロシアW杯からの継続」

森保監督は前体制からの流れを組みながらチーム作りを行っている 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 ワールドカップ(W杯)が終わり、新体制の幕が開けてもなお前体制からの流れがしっかりと引き継がれているのは、日本代表史上初めてかもしれない。

 1992年以降、日本代表の監督はハンス・オフト(オランダ)、パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)、加茂周、岡田武史、フィリップ・トルシエ(フランス)、ジーコ(ブラジル)、イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、岡田、アルベルト・ザッケローニ(イタリア)、ハビエル・アギーレ(メキシコ)、ヴァイッド・ハリルホジッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、西野朗と、引き継がれてきた。

 途中就任だった岡田監督と西野監督は当然のことながら前任者のコンセプトやスタイルを踏襲する部分があったが、外国人監督を招いたときには、どうしても「リセット」されることが多かった。

 森保一監督が就任した今回は、違う。

 初陣となった9月のコスタリカ戦でいったん若返りを図った上で、10月のパナマ戦、ウルグアイ戦でW杯ロシア大会の主力を呼び戻した選手選考にも、4−2−3−1をベースに攻守にわたって連動し、ポゼッションを重視しながらも縦の意識を失わないスタイルにも、デュエルを重視しつつ、戦況や相手に応じて臨機応変に戦うコンセプトにも、前体制からの流れが強く感じられ、そこにリセットされたという印象はない。

「ロシアW杯からの継続ということを、森保さんはすごく意識していると思う」

 そう語ったのは、サンフレッチェ広島時代に森保監督の薫陶(くんとう)を受けた青山敏弘だ。また、10月シリーズから合流した長友佑都も、こう明かしている。

「ミーティングで森保さんは、ハリルさん、西野さんから学んだものを受け継いで自分の戦術、新しい日本代表を作っていきたい、と言っていましたね」

森保「あとは自分の使い方次第」

森保監督(上段左から3人目)自身も歴代の監督から多大な影響を受けている 【写真:山田真市/アフロ】

 森保監督が12年から16年夏まで指揮を執った広島時代も、前任者であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督の戦術、スタイル、コンセプトを引き継いだ上で、守備面における整備を含めてブラッシュアップし、3度のリーグ制覇を成し遂げた。

 影響を受けているのは、ペトロヴィッチ監督だけではない。マツダ時代からの先輩で、ダブルボランチを組んだ風間八宏、マツダと日本代表、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)時代の恩師であるオフト、広島の指揮官だったスチュワート・バクスター、ビム・ヤンセン、ヴァレリー・ニポムニシ、京都とベガルタ仙台で指導を受けた清水秀彦……。

 森保監督自身、「歴代の監督からは本当にたくさんのことを学ばせてもらいました」と語っている。だが、その一方で、それだけではダメだとも言う。

「あとは自分の使い方次第。人のコピーだけではうまくいかないので、教わったこと、学んだことを自分の中で消化し、自分の考え、言葉として、いかに伝えられるか。それが大切だと思います」

選手たちが臨機応変にプレーできる土壌作り

パナマ戦では、右CBの冨安健洋がフリーとなるメカニズムをチームで作り出していた 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 日本代表においても、引き継いだものだけでなく、森保監督のカラーが見えてきた。

 例えば、それは10月12日のパナマ戦における攻撃のビルドアップやアタッキングサード攻略のシーン。パナマは4−4−2の布陣で守備ブロックを組み、相手の2トップが日本の2センターバック(CB)の前に立ち、中央のルートをふさいできた。

 そこで日本はボランチの青山か三竿健斗のどちらかが2CBの間に落ちて両サイドバック(SB)を上げたり、左SBの佐々木翔が中央に絞って右SBの室屋成を上げたりして、3バックへと形を変え、相手2トップに対して数的優位を築いてボールを展開したのだ。

 このとき最も多かったのが、右CBの冨安健洋がフリーとなる場面。こうして冨安は敵陣へとボールを運んで縦パスを何度も入れたが、冨安が相手のマークを受けずにプレーするメカニズムをチームで作り出していたわけだ。

 一方、右SBの室屋がスルスルと上がっていくと、それに呼応するように、右サイドハーフの伊東純也が内側に絞る。俯瞰して見ると、右から室屋、伊東、大迫勇也、南野拓実、原口元気がいわゆる5レーンをすべて埋め、相手の4バックのギャップにポジションを取っていた。状況によっては、南野が中盤に落ちて、原口と佐々木が左サイドで並んだり、原口が落ちて、南野と佐々木が並んだりするシーンもあったが、3−2−5のような形で4−4−2の相手を攻略しようとしていたことに変わりはない。

 こうして位置的優位、数的優位を得た上で、大迫をはじめ、南野、伊東、原口、青山といった選手たちのクオリティーで質的にも優位に立ってゲームをコントロールしていくのは、欧州で広まるポジショナルプレーの概念に近い。そして、それこそ3−4−2−1の可変システムを駆使していた広島時代にも指揮官が実践していたものだ。

「練習から『高い位置に入っていっていい』と言われていたけれど、練習でも特にあれをやれという指示はなかった。でも、試合中に俺が高い位置に入って(伊東)純也君が中に入ったほうが相手はサイドでプレッシャーを掛けづらくなっていたし、相手がすごく嫌な状況でサコ君(大迫)にくさびのパスを入れる回数を増やせていた。純也君と、『こっちのほうがうまくいくな』と話していて、ああいう形になった」

 室屋はこう語っているから、トレーニング中にパターン化して落とし込んでいるわけではないのだろう。だが、「トレーニングでチームとしてやろうとすること、ミーティングでチームコンセプトを伝えながら活動してきた」という指揮官の言葉や、「森保さんのもとでやってきた僕と青山選手とで人の動きや配置は臨機応変にやっています」という槙野智章の言葉を聞くと、練習やミーティングで相手の分析も含めて戦術的なポイントを整理し、選手たちが臨機応変にプレーすることを促しているのかもしれない。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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