フランスをW杯優勝に2度導いた男 デシャンの「勝運」とリーダーシップ

木村かや子

キャプテンとして、監督として2度のW杯制覇

フランス代表がクロアチアを破り、20年ぶり2度目のW杯優勝を果たした 【Getty Images】

 フランス代表監督、ディディエ・デシャンの美点は、それが良いにしろ悪いにしろ、自分が何をしようとしているかを明確に知っている、ということだ。彼がチームを築くとき、そこには確固たる考えがあり、彼は明確な試合のプランを持って任務に挑む。その考えがいい結果を生むことも生まないこともあるが、彼は自分の考えとともに生き、死ぬ。

 キャプテンとしてワールドカップ(W杯)を掲げた1998年から20年後、デシャンは監督として、再びその栄冠を勝ち取った。才能ある選手を擁してはいたが、W杯ロシア大会に参加したどの国よりもフランスが実力的に上だった、とは言えないかもしれない。堅固に守ってカウンターという戦法が気に入らなかった批評家もいただろう。それでもこの若いフランスは、監督デシャンが築いた、“全員が身を粉にしてチームとして戦う力”を武器に、苦しい序盤戦を勝ち抜き、真のチームへ、家族へと育ちながら、最後まで突き進んだ。そして15日(現地時間)、フランスはクロアチアに4−2で勝利し、世界一の称号を手にした。

 大会前、選手の選択や戦術プランなどで批判されることも多かったデシャンが、フランス代表をW杯ロシア大会の決勝に導いたとき、98年大会優勝時の代表監督、エメ・ジャケとの比較が出たのは不可避なことだった。ジャケもまた、大会前に批判されていた。そしてジャケもデシャン同様、チームワークを何より重視する監督だった。

「監督としての最初の任務は、23人を選ぶことだった。私は必ずしも最強の選手を選んだとは限らないが、最良のチームとなるように選手を選んだ」と決勝後、デシャンは言っている。

 例えばデシャンは、現存のFWの中で最も実力が高いように見えるが、チームメイトを恐喝するという問題を起こしていたカリム・べンゼマを招集しなかった。この決断は少なからぬ批判を呼んだ。ジャケが、エリック・カントナを招集しなかったときのように。デシャンは、チームの和を乱す可能性のある選手は、たとえそれが実力者であっても排除する「勇気」を持っていたのだ。

 そして、ポテンシャルを持った選手を見つければ、それが国際レベルでの実績がない選手でも、迷わず招集した。

監督であると同時に育成者でもあるデシャン

デシャンの抜てきに応えたパバール(左)とエルナンデス(右)の若手SBコンビ 【Getty Images】

 そのいい例が、本大会に入って初めてレギュラーとなった共に22歳のサイドバック(SB)、リュカ・エルナンデスとバンジャマン・パバールだ。昨年11月、人材不足で頭痛の種と信じられていた右SBの位置にパバールが呼ばれたとき、フランスの人々は「あれは一体誰だ」と眉をひそめたものである。いずれにせよパバールは、今年3月に初招集された左SBのエルナンデスとともに、将来を見越して呼ばれた交代要員と見なされていた。

 ところが、控えのテストに使われた準備試合で2人が光るものを見せると、デシャンは本番になって、この22歳のペアの先発起用を決める。ラウンド16の対アルゼンチン戦で、エルナンデスのクロスを、パバールが見事なハーフボレーでとらえてゴールにたたき込んだシーンは、実に象徴的だった。

 4得点を挙げ、大会のベストヤングプレーヤーに選ばれた19歳のキリアン・エムバペは、今大会の新星だった。初の大舞台にも、「ストレスなんかない。あるのは喜びだけだ。W杯決勝で楽しくなかったら、いつ楽しむんだ?」と言ってのける、すでにかなりビッグな未来の大器である。デシャンが彼を招集するのも早かったが、国内ではすでに名高い若手だったエムバペの起用と活躍は、それほど驚きではない。

 反対にパバールは、2016−17シーズンにはドイツ2部にいた選手。本人自ら「それを考えると信じられない。大会前には、数分くらい出られるか、と思っていた」と認めている。

 そもそも、まだレアル・ソシエダにいたアントワーヌ・グリーズマン、無名だったエンゴロ・カンテを最初にA代表に招集したのもデシャンであり、彼の潜在能力を見抜く目には定評がある。

 チームの14人がW杯初出場だったが、若手起用のリスクを恐れないのも、デシャンの特徴のひとつ。デシャンは監督であると同時に、育成者の資質を持つ。「あえて若い選手を選んだ」と言った通り、そこで何が起ころうと、その経験を未来につなげるための布石も打つのである。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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