国民をひとつにしたベルギーの3位躍進 代表チームは多様性を持つ国のシンボルに

中田徹

大会最多の16ゴールを挙げ、史上初の3位に

イングランドを破ったベルギーが史上初の3位に輝いた 【Getty Images】

 現地時間7月14日、ワールドカップ(W杯)ロシア大会でベルギーがイングランドを2−0で下し、同国史上初の3位に輝いた。開始4分、ベルギーは左ウイングバック(WB)のナセル・シャドリのクロスを右WBのトーマス・ムニエが押し込んで、あっという間に先制ゴールを奪ってしまった。

 WBの背後の守備に難のあるベルギーは、ラウンド16では日本に徹底してサイドのスペースを突かれ続け、危うく敗退の危機を迎えた。しかし、アディショナルタイム4分に決まった劇的な決勝ゴールは、ムニエのクロスをロメル・ルカクがスルーして、シャドリが押し込んだもの。チームの弱点であったWBの守備は、チームの長所であるWBの攻撃力によってカモフラージュされたのだ。

 もっと堅いサッカーをすることで、弱点をカバーする方法もあるのかもしれない。もしかしたら、準決勝のフランス戦(0−1)から学ぶこともあるのだろう。しかし、ベルギーは攻撃にアクセントを置いたフットボールを追求し、今大会最多となる16ゴールを記録した。

 ゴールの多くはカウンターから生まれたものだった。ゴールにこそならなかったものの、80分にセンターバック(CB)のバンサン・コンパニの小さなクリアからスタートし、エデン・アザールとケビン・デブライネのヒールキックを交えながらドリース・メルテンスも絡んでボールを前へ運び、最後は左からメルテンスが逆サイドに振ってムニエが右アウトフロントでボレーシュートした一連のカウンターは、究極の美に達していた。

 ベルギーより1日休養が少なく、疲労を隠せないイングランドもセットプレーや右WBのキーラン・トリッピアーのクロスから好機をつかんだ。しかし、ベルギーはCBのトビー・アルデルワイレルトがゴールライン上で相手のシュートをクリアするビッグプレーでピンチをしのぎ、3位決定戦を締まったものにした。終盤の82分にはアザールが追加点を決めて、ベルギーがグループリーグに続いてイングランドに2連勝した。

帰国後のセレモニーに数万人が集まる

帰国後のセレモニーには数万人が集まった 【Getty Images】

「ベルギーが歴史を作った」。そう思えた3位決定戦だったが、本当の歴史は試合翌日の15日に待っていた。

 3位決定戦が行われたサンクトペテルブルクからブリュッセルに戻ったベルギー代表は、市内をパレードしながら「フロート・マルクト(オランダ語)/グラン・プラス(フランス語)」という名の大広場へ向かい、ここにある市庁舎のバルコニーからファンに向かってあいさつした。意外と狭い広場ということもあって、入場を許されたのは8000人だったが、その周囲には大きなモニターが置かれ、数万人のファンがセレモニーを見守った。

 32年前の夏、W杯メキシコ大会でベルギーが4位になったときにも、同じようなセレモニーがあった。多くの人たちはもう、プエブラの街でベルギーがメンバーを落として戦ったフランスに敗れたことを覚えてないが、あのときのセレモニーの映像や写真は何度も繰り返しベルギーメディアで紹介され伝説となっている。ジャンマリー・プファフ、ヤン・クーレマンス、エリック・ゲレツ、エンツォ・シーフォらはレジェンドとなり、当時のメンバーの多くは今も指導者として活躍している。

 オールドファンにとってはセピア色のかかる昔話、若いファンにとっては全く初めての経験。しかもベルギー代表チームには長くつらい低迷期があった。もちろん、今回のチームは優勝を狙うポテンシャルを秘めていたチームだけに、準決勝でフランスに敗れた悔しさがゼロかといえばうそになる。だけど3位になった喜び、誇り、感動の方が勝った。フロート・マルクトとその周辺を人々が埋め尽くし、選手たちはものすごい歓迎を受けたのである。私はこのイベントをロシアからライブストリーミングで見ていたのだが、それでも「歴史的な瞬間に立ち会えた」と感じたぐらいの熱狂ぶりだった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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