ヴェンゲルという「天啓」に打たれて22年 偉人が去るアーセナルの明日はどっちだ?

東本貢司

ほんの片時でさえ、気遣いを忘れない男

ヴェンゲルは22年間、選手たちをまるで我が子のように育ててきた 【写真:ロイター/アフロ】

 ロンドン北方の田園都市、セント・オーバンズ。初めての出会いのとき、彼は少々機嫌が悪かった。ミーティングが長引いたためか、約束の時間にかなり遅れてこちらを待たせたことを悔やんでいた。そのうえ、ホスト側の誰ひとりとして案内も断りの労も取ろうとせず、客をラウンジに放置したままの非礼に憤慨していた。

 アーセン・ヴェンゲルの第一印象は、かくしてあの眉間に深く刻まれたしわに集約された。時折口を挟む縁こそあっても、たまたま同席したオブザーバーでしかなかった筆者の影など、とうてい記憶に留まるとは思えなかった。

 しかし──。数カ月後の2度目の機会、個別に会って話す縁もなかった「アーセナル監督記者会見場」の壇上に上がる数分前、連れの職員(と会見の司会進行役)を待たせてこちらに歩み寄った彼はサプライズの声をかけてきた。「おや、髪に色を入れたようだが、それ、なかなか似合ってるよ」。

 まだある。それから1年と少し後……。

 もちろん、筆者がとりたてて特別な存在であるはずがない。それでも、ほんの片時でさえ、気遣いを示し心を通わせる時間を演出し、共有しようとする。そのささやかな感動は、後に彼のインタヴュー録や評伝数冊の翻訳を手掛けるたびに、さらに増幅した。当然、筆者との関わりなどとは比べ物にならないほどに濃密に重ねてきた多くのフットボール人、プレーヤー、クラブ職員たちとのそれらが、いかなるものだったかは推して測るべし!

 ああ、この数年、アーセン・ヴェンゲルの“クビ”を声高に叫んできたガナーズファンの心の在処たるや、いずこをさまよっていたのだろうか。

「とてつもなく骨の折れる」偉人の後任選び

ガズィディスCEOはヴェンゲルの後任選びに大きな影響力を持つ 【Getty Images】

 つい先日、アーセナルFCのCEO、アイヴァン・ガズィディスは、エミレイツ・スタジアムのクラブ職員200余名を前に「これよりアーセン・ヴェンゲルの後任を探すという“とてつもなく骨の折れる”使命にとりかかることになる」とのたまった。

 その一方で、某現地メディアの伝えるところによると、ガズィディス自身がオーナー、スタン・クローンキーに進言する“隠し玉”は、少し前までアーセナルのキャプテンだった現マンチェスター・シティーのコーチ、ミケル・アルテータだともいう。圧倒的な成績でプレミア新チャンピオンの座に就いたばかりの、その“ペップ・システム”を間近で、濃密に体験中の、ガズィディスいわく「大胆な賭け」に相当する男らしい。

 さらに、同じく候補推薦の任に当たる新任のクラブ重役、ラウル・サンジェヒが“浪人中”の前バルセロナ監督ルイス・エンリケをプッシュしているとか、昨年11月にドルトムントからアーセナル入りした“第3のキングメーカー”たるスヴェン・ミスリンタットのお薦めは、現ホッフェンハイム監督のユリアン・ナゲルスマン、もしくはシャルケの指揮官ドメニコ・テデスコだとも……。

 ふーむ、どうやらこのお二方は“この日のお膳立て”のためにあらかじめリクルートされてきたのかも……といささか“げんなり”しつつ、これが「ポスト・ヴェンゲル」体制構築の予備作戦(の一環)だとしたら、なるほど、極めて実務的で堅実、しかも世の趨勢(すうせい)にのっとっているとも言えそうだが……。

 だとしても、筆者は切に願う。当時アーセナル副チェアマンのデイヴィッド・ディーンが、アーセン・ヴェンゲルという「天啓」に打たれ、一つ先の時代を切り開いていったドラマの再現、再来を。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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