ジョーカーに名乗りを上げた中島翔哉 W杯メンバー入りに必要な条件は?

元川悦子

「一番大切なのは、サッカーを楽しむ気持ち」

中島は高いレベルで戦える喜びを体いっぱいで感じながら、ポルティモネンセで充実した日々を過ごしている 【Getty Images】

「翔哉は生粋のサッカー小僧」

 手倉森監督を筆頭に、彼を指導した多くのコーチがこう口をそろえる。本人も「サッカーをやるうえで一番大切なのは、サッカーを楽しむ気持ち」と口癖のように言う。小学生の頃にはボールを抱えて登校し、先生に怒られながらも足元に置いて授業を受けていたというから、どれだけサッカーが好きかよく分かるだろう。そのメンタリティーはプロになり、日の丸を背負って戦うようになった今も全く変わっていない。

 楽しいサッカーを突き詰めたいという探求心と貪欲さは、昨年8月にポルトガルに渡ってから一段と拍車がかかったようだ。

「ポルトガルは『前を向いて仕掛けていく』という自分の特徴を出しやすい国。もともと自分に合ってると思っていたけれど、日本とは違った楽しさがあります。ポルト、スポルティング、ベンフィカのビッグ3とも対戦しましたが、ちょっとレベルが違うというか、プレーのスピードも速いし、やっていてすごく面白い。いろいろな国の選手と戦えるのも楽しいです」

 中島は高いレベルで戦える喜びを体いっぱいで感じながら、ポルティモネンセで充実した日々を過ごしている。

実績面で劣る中島は当確とは言い切れない

得点力により一層、磨きをかけること。それが中島のロシア行きの絶対条件だ 【Getty Images】

 もともと人見知りなタイプで、ポルトガル語もあまり話せないが、金崎夢生がいたころからポルティモネンセに在籍する東京Vジュニアユース時代の後輩・亀倉龍希にも助けられ、新天地にスムーズに適応できたのも大きかった。中島は長い時間を費やしたものの、ようやく表舞台にのし上がり、W杯本大会まで約2カ月半というギリギリの段階で代表メンバーへの滑り込みを大きくアピールしたのである。

「僕が初めて見たW杯は02年日韓大会。当時の僕はブラジルのロナウジーニョが好きでした。見ていてとにかく技術が高かった。ロナウジーニョが家でボールをよく触っていたという話を聞いて、自分もそうしていましたし、ボールを抱いて寝ていましたね。いつか彼のように華やかな舞台に立って活躍したい思ってました」と憧れの人が母国に優勝をもたらす姿を目の当たりにし、中島はW杯への思いを強めたという。

 あれから16年の月日が経過し、23歳の小柄なアタッカーは今回の欧州2連戦で確固たる存在感を示すことに成功。夢に手が届きそうなところまで来た。とはいえ、代表左サイドは現在、原口元気、宇佐美貴史、乾貴士など欧州である程度の実績を残している面々が熾(し)烈なポジション争いを演じていて、実績面で劣る中島はまだまだ当確とは言い切れないところがある。

 しかしながら、他の選手に比べて彼が際立っているのは、ゴールを奪うというサッカーにおける最も重要な仕事。それは今の日本代表に一番欠けている点でもある。その部分に磨きをかけ、どんな場面でも冷静にフィニッシュを決められる選手に中島が飛躍してくれれば、ロシア大会に向けて希望の光が見えてくる。5月までのシーズン終盤に得点力により一層、磨きをかけること。それが中島のロシア行きの絶対条件だ。

 同時に、前々からの課題であるオフ・ザ・ボールの動きや守備意識を高めることも求められてくる。目下の中島は日本が劣勢に陥っている時、あるいは1点が欲しい時の「ジョーカー」としての位置付けにとどまっているが、コロンビア、セネガル、ポーランドとのW杯3試合を視野に入れるとスタメンでピッチに立つ可能性も皆無ではない。そうなった時は、武器の攻撃力だけを出していればいいわけではないのだ。

 ウクライナ戦で左サイドを担った原口がタッチライン際ですさまじい走りを見せ、背後にいる長友のサポートに入っていたように、ハードワークや献身的な走りを強く求められる。それができて初めてハリルホジッチ監督も中島に絶対的な信頼を寄せるはずだ。

「守備の部分ではまだまだボールを取れていないし、チームの力になれていない。ポジショニングの部分も課題だと思います。代表でもっといろいろなことをやれるようにしていきたい」と本人もやるべきことを明確に脳裏に描いている。それを常に心掛け、楽しみながら高みを目指すことができれば、ロシアの大舞台は自ずから近づいてくるに違いない。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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