畠山愛理が迫る上地結衣、孤高の道のり 車いすテニス世界1位の心境とは?

構成:宮崎恵理
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提供:東京都

車いすテニスの上地結衣(右)と、元新体操選手の畠山愛理さんが対談 【Photo:越智貴雄/カンパラプレス】

 元新体操日本代表・畠山愛理がパラアスリートの姿に迫る対談の第3弾は、車いすテニス女子の世界チャンピオン、上地結衣。2012年ロンドンパラリンピックに初出場し、2年後にはダブルスで年間グランドスラムを達成。リオデジャネイロ大会のシングルスで日本人女子として初めて銅メダルを獲得し、昨年6月には再び世界ランキング1位になった。二人はともに1994年生まれ。スポーツに出会った子ども時代から、競技中のメンタルに至るまで、孤高の道のりに迫る。

やめようと思ったロンドン大会

スポーツ界で活躍した個人、団体に贈られる、ローレウス世界スポーツ賞にノミネートされた上地。昨年は充実したシーズンが送れた 【Photo:越智貴雄/カンパラプレス】

――上地選手、ローレウス世界スポーツ賞(スポーツ界で活躍した個人、団体に贈られる賞)ノミネート、おめでとうございます。モナコでの授賞式はどんな様子でしたか?

上地 あれほど大きな賞にノミネートされることは初めて。レッドカーペットを歩くことも初めてで、とても新鮮でした。

畠山 モナコはどんなところでしたか?

上地 実は、到着した翌日に雪が降ったんです。20年ぶりくらいの雪だとか。でも、海は美しかったし、街もすてきでした。今回、男子の最優秀選手賞は同じテニスのロジャー・フェデラー選手で、女子もセリーナ・ウィリアムズ選手。ノミネートされた人の中にもテニス選手が多かったですね。

畠山 すごいですね。上地選手とは同い年だから、すごく刺激的です。車いすテニスは、何歳で始められたのですか?

上地 11歳の時です。4歳離れた姉が中学で軟式テニス部に入って、私もテニスをやりたいと思って始めました。

畠山 私も兄が2人いて、小さい時から活発でいろんなスポーツの体験をさせてもらう中で、新体操を始めたんです。それが小学1年でした。中学3年で日本代表チームに入ったんですが、上地さんは高校卒業後にプロになられたんですね。その時の気持ちとか、覚悟ってどんなものだったんでしょう。

上地 高校卒業後にプロになりましたが、私も初めて日本代表として海外遠征に出かけたのが中学3年の時でした。畠山さんはその年齢で、自分からオーディションを受けられて日本代表に入られたんですよね。そういう覚悟みたいなものは、まだありませんでした。当時は、海外に行けるのがすごく楽しかったんです。

畠山 プロとしてやっていこうという覚悟は、やはり初めてのロンドンパラリンピックを経験したことが大きかったのですか?

上地 実は、ロンドンパラリンピックに行くまでは、ロンドンが終わったらテニスをやめようと思っていました。本来はロンドンの4年後のリオデジャネイロを目指していたのですが、ロンドンに出場できることになった。それでパラリンピック出場という目標が達成したわけです。目標が達成できたから、次は大学に進学して全く違うことを勉強しようとか、海外に留学するとか、そんなことを考えていました。

畠山 そうだったんですね。でも、結果的には車いすテニスを続けられている。どんな変化があったのですか?

上地 ロンドンで自分の試合が全部終わったところで、負けて悔しい気持ちと勝ててうれしい気持ちと両方がありました。パラリンピックで出会った他の競技の選手とかテニスの仲間とか、一堂に集まってそこで応援したりされたりするということも初めてで、それはすごく貴重な楽しい体験でした。観客としてリオに行くこともできますが、それではやはりつまらない。選手という立場でもう一度リオを目指そうと改めて思ったんです。

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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