海外を経験した2人が語る、日の丸の意味 車いすバスケ藤本怜央×畠山愛理<対談>

構成:宮崎恵理
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提供:東京都

車いすバスケットボール日本代表キャプテンの藤本怜央(右)と、元新体操選手の畠山愛理さんが対談 【赤坂直人/スポーツナビ】

 東京パラリンピックに向けて前進するパラアスリートたちの視線の先にあるものは何か。新体操の日本代表「フェアリージャパン」メンバーとして、2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪に出場し入賞を果たした畠山愛理さんが迫る。その第1弾は車いすバスケットボール日本代表キャプテンでエースの藤本怜央。ともに海外で研さんを積んできた2人が語る、日の丸をつけて戦うことの意味とは――。

感動から始まった競技人生

藤本は初めて見た全国レベルの車いすバスケに心を動かされて本格的に取り組んだという 【赤坂直人/スポーツナビ】

――それぞれ新体操、車いすバスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

畠山 私は小学1年の時に新体操に出会いました。すごく活発だったので、母がいくつか体験に連れて行ってくれたんです。バスケットボール、バレーボール、水泳、新体操、それにクラシックバレエも。その中で新体操のリボンに心惹かれて、リボンがやりたくて飛び込んだのが新体操でした。

藤本 子供の頃から体は柔らかかったんですか?

畠山 いや、硬かったですね。藤本選手は体が柔らかいですか?

藤本 まさか!(笑) 柔軟性があった方が良いと思うんですが、筋肉と柔軟性のバランスが難しいんですよね。硬いからけがが多いのかなと思うんですが…。

畠山 新体操も、柔軟性と筋肉のバランスがとても重要なんです。柔軟性がありすぎても、けがにつながってしまう。藤本選手は、いつからバスケットボールを?

藤本 小さいときはサッカーをしていたんですが、小学3年の時に交通事故で足を切断してから、うまくボールが蹴れなくなった。僕の両親はバスケで国体出場するような選手だったんです。僕の通っていた小学校で父がミニバスケを指導していたこともあり、小学5年で始めました。中学でもバスケ部でした。高校に進学すると体も大きくなりますし、全速力で走って急停止という速度も半端ない。義足でついていくのは大変じゃないかと父が心配して、両親がプレーしていた社会人のチームに入れてくれて、バスケの醍醐味(だいごみ)である連携とか、フロアバランスとかをすごく養う環境を作ってくれたんです。そこまでは義足をつけて普通のバスケットボールをしていました。

畠山 そこから、今度は車いすバスケに?

藤本 高校3年の時に全国障害者スポーツ大会が宮城で開催されたんです。その2年前に静岡国体があって、そこに出場しないかという誘いがあって地元の車いすバスケの練習を見に行ったけど、当時は全く面白くなかった。車いすで転倒しても起き上がれないし、スピードもない。でも、全国レベルの大会は見ておこう、ということで宮城の大会で見たのが仙台市のチーム(現在所属している宮城MAXが主体のチーム)でした。そうしたら、自分の先入観とは大違いで、3ポイントはガンガン決めるし、あり得ないくらい遠いところからパスも出す。自分より障がいが重い選手が、すごいスピードで車いすを操作している。もう、本当に見て感動したんです。こんなスポーツがあって自分にチャンスがあるのにやらないのはもったいない。どうせやるなら全国レベルでやりたいと、車いすバスケをやるために東北福祉大への進学を決めて宮城のチームに所属しました。

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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