畠山愛理がパラカヌー瀬立モニカに迫る 涙してもトレーニングに向かう、そのワケ
パラカヌーの瀬立モニカ(右)と、元新体操選手の畠山愛理さんが対談 【吉村もと】
「感慨深いものがあった」初めてのパラリンピック
リオでパラリンピック初出場した瀬立。開会式や選手村での様子を語ってくれた 【吉村もと】
瀬立 私はリオデジャネイロパラリンピックの開会式に出ました。
畠山 私は閉会式だけ。新体操は競技日程が最後の方だったので、開会式はテレビで見ていました。
瀬立 私は逆に閉会式の前日に帰国しました。開会式はやっぱりすごくフォーマルというか、入場行進するときに「あくびしてはいけない」と言われるんです。
畠山 やっぱり日本のお国柄なんでしょうね。閉会式だともう少しリラックスしていて、行進もジャージ姿でした。日本は写真撮りながら歩くなどもなかったですね。
瀬立 初めてのパラリンピックで、入場行進する時にまぶしい光の中に足を踏み入れた瞬間「ああ、ここまで来た」という感慨深いものがありましたね。
畠山 私は、初めてのロンドンオリンピックの時はホテルから会場入りで、選手村に滞在していなかったこともあり、W杯の感覚とあまり変わらずオリンピックに臨めました。オリンピックを強く感じたのは、2度目のリオですね。選手村では、他の競技の選手たちがたくさんいるのでオリンピックをより強く感じました。
瀬立 選手村って、楽しいですよね。
畠山 でも、新体操では選手村で他の選手たちと話をしちゃいけないという決まりがあったんです。ロシア人のコーチがとにかく集中しなさいって。日本人の選手とすれ違う時にも笑顔で会釈するだけでした。
畠山 そもそも、モニカさんがカヌーをやろうと思ったきっかけは何ですか?
瀬立 小学生の時には水泳、テニス、陸上、サッカーなどいろいろなスポーツをやっていました。中学に進学すると、私が住んでいた江東区で合同のカヌー部を創設しようという動きがあって、学校の先生から勧められたのがきっかけです。
畠山 東京でカヌーができるって、珍しいですよね。
瀬立 そうですね。渓流があるような地域の方がやはり盛んです。2013年の東京国体に向けて東京でも選手を育成しようという機運があって、それで江東区がカヌー部を作ったんです。
畠山 なるほど! 当時のカヌーの印象はどんなものでしたか。
瀬立 まず、ちゃんと乗り込むのも難しい。乗った瞬間にひっくり返っちゃう。すごく不安定なんですよね。でも、練習すると3カ月くらいで自転車みたいにちゃんと乗れるようになります。
パラカヌーの入り口は「死なないための練習」
リオパラリンピックでは8位入賞を果たした瀬立。「水上は一番のバリアフリー」とパラカヌーの魅力を教えてくれた 【写真:アフロスポーツ】
瀬立 パラカヌーを始めるにあたって、最初にするのが死なないようにプールで練習することなんです。
畠山 ええっ! 死なないように、ですか?
瀬立 はい。カヌーが転覆して川に投げ出された時に、船から脱出できるようにするトレーニングです。地元の小学校のプールにカヌーを運んで、そこで抜け出す練習をします。何十回、何百回も練習して、「これで大丈夫」となって初めて川に出ます。
畠山 失敗を重ねることが正しく乗れる最短の方法なんですね。でも、そこまでするカヌーの魅力って何ですか?
瀬立 車いす生活になると、階段があると上に行けないとか、段差があって入りたい所に入れないとか、やはり不自由が多い。でも、カヌーに乗ってしまえば、水上に段差はないんですよ。
畠山 なるほど!
瀬立 水上は一番のバリアフリーなんですね。それがパラカヌーの魅力です。アメンボみたいに水面をすごいスピードで進む。水中でも陸上でもない、なんとも言えない感覚なんです。