【DDT】大学卒業の竹下がKO−D防衛記録更新 ムタが「最後」のムーンサルト披露で勝利

高木裕美

大学卒業したばかりの竹下がKO−D無差別級王座V11を達成 【写真:前島康人】

 25日のDDTプロレスリング「Judgement2018〜DDT旗揚げ21周年記念大会〜」東京・両国国技館大会では、4大タイトルマッチなどが行われ、超満員となる5796人を動員した。

 この日より、「A BATHING APE」などで知られるファッションデザイナー・NIGO氏がデザインした新ロゴマークがお披露目され、早くもグッズが発売。また、「両国ピーターパン2018〜秋のプロレス文化祭」として、10.21両国大会の開催が発表された。さらに、来年2.16&2.17の両国2DAYSも決定。そのうち、初日の16日はDDTではなく、マッスル坂井が主宰するマッスルが「マッスル・マニア2019〜2030年まで待てないよ(仮)」として開催されることになった。

高校生レスラーから大学卒業で新しい門出

こだわりのジャーマンスープレックスホールドで石川を破る 【写真:前島康人】

 メインイベントのKO−D無差別級選手権試合では、王者・竹下幸之介が「D王 GRAND PRIX 2018」優勝者の石川修司を下し、最多防衛記録を更新するV11を達成。日本体育大卒業と合わせ、2つのうれしい春を迎えたが、いつものDDT恒例の大団円のエンディングではなく、後味の悪いフィナーレとなった。

 幼少期からプロレスファンであった竹下は、現役高校生であった12年8.18日本武道館大会でプロレスデビューを飾ると、14年4月に日本体育大に入学。大学生活とプロレスを両立させながら、密度の濃い4年間を駆け抜け、今年3月、無事、大学を卒業した。

 入門時から「将来を担うエース」として期待された竹下は、16年5月に21歳でKO−D王座を初戴冠。だが、同年の8.28両国大会で石川の挑戦を受け、20分5秒、ジャイアントスラムで敗れて王座から転落していた。昨年の3.20さいたまスーパーアリーナで再びベルトを取り戻した竹下は、それから1年、王座を保持。これまで、13年に入江茂弘が樹立したV8の最多防衛記録を抜き去り、団体初の2ケタ防衛にも成功した。

 対する石川は、DDTマットではDAMNATIONの「ペット」として愛されるかたわら、レギュラー参戦している全日本プロレスでは、昨年から今年にかけ、「チャンピオン・カーニバル」優勝、三冠ヘビー級王座戴冠、「世界最強タッグ決定リーグ戦」優勝、世界タッグ王座獲得とまさに大活躍。DDTでも、今年1月開催の「D王 GRAND PRIX 2018」で優勝し、40歳を過ぎて全盛期に突入している。

入江登場で大団円にならず後味の悪さも

試合後は入江が登場。ゴタゴタな展開となり定番の大団円とはならなかった 【写真:前島康人】

 開始早々、「絶対勝つぞ」と叫んで気合を入れた竹下に対し、石川が強烈なバックドロップ、ランニングニー。竹下もドロップキック、ブルーサンダー、垂直落下式ブレーンバスターとたたみかけるも、スーパーフライはヒザ剣山でブロックされる。なおも竹下は雪崩式ブレーンバスター、顔面蹴り、ジャーマンスープレックスを決めるが、石川もラリアットからカミゴェを炸裂。しかし、ダメージが大きく、カバーには入れない。15分過ぎ、コーナーから場外へ転落した竹下に対し、石川がテーブル上へのファイヤーサンダー。衝撃で机が木っ端微塵となる中、なおも石川はエルボー、フルネルソンスープレックス、ヒザ蹴り、スプラッシュマウンテンの猛ラッシュ。だが、これをしのいだ竹下がスリー パー、フロントネックロックでスタミナを削ると、ラリアットからの投げっぱなしジャーマンスープレックス。時には相打ちになりながらもラリアットを打ち続け、クロスアーム式スープレックスからのジャーマンスープレックスホールドで3カウントを奪取。大学の卒業論文のテーマに選んだ思い入れのある技で勝負を決めた。

 竹下は「本当にたくさんの人に支えてもらって、成長できた1年半でした」と石川へのリベンジ達成に胸を張ると、「高校生レスラーだった僕が大学を卒業する。時がたつのは早い」と、プロレス人生を思い起こしながら「もっとこの愛するDDTをデカく、強く、最高の団体に盛り上げていきたいと思います。僕がこのベルトを落とす時は、すべての糸が切れた時。その糸がまだまだ切れません。だから、オレについて来い!」と宣言。観客も笑顔でエースを見送るが、その祝福ムードを、1人の男が一変させた。

 海外遠征中かと思われた入江が突如、リング上に姿を現し、竹下を呼び寄せると、「今の自分にはそのベルトが必要。挑戦受けてください」と次期挑戦者に名乗りを上げ、竹下も「僕のベルトに挑戦してもいいですよ」と一度は受け入れるが、竹下のセコンドに就いていた彰人が「あんたは自分勝手すぎる。DDTのことを考えていない。竹下への挑戦は認めない」と激怒し、これを拒否。互いの言い分が平行線を辿る両者の論議に、竹下は「僕はチャンピオンとして、彰人vs.入江茂弘が見たい」と、言葉ではなく肉体でぶつかり合うことでの和解を提案した。

 これまで、DDT両国大会のエンディングでは、バックステージに出場全選手が集結し、チャンピオンを中心に、笑顔での大団円となることが多かった。しかし、今回は、激闘の疲れが残る竹下の笑顔は消え失せ、むしろ両者の板ばさみで苦悩の表情に。14時のアンダーマッチ開始から、実に6時間の長丁場の最後に起きたいさかいは、後味の悪さだけが残る形となってしまった。

関本&樋口が「ハラシマルフジ」の防衛を止める

ハラシマルフジからKO−Dタッグを奪った「関口」の2人 【写真:前島康人】

 セミファイナルのKO−Dタッグ選手権試合では、関本大介&樋口和貞の「関口」が、HARASHIMA&丸藤正道の「ハラシマルフジ」を破り王座を戴冠した。

 ハラシマルフジは昨年8.20両国大会で、入江茂弘&樋口組から王座を奪取。その後も、丸藤が路上プロレスを初体験するなどして、5度の防衛を積み重ねてきた。樋口は王座転落のリベンジを果たすべく、2.25後楽園では丸藤との一騎打ちに臨むも、生のヒザでの虎王に撃沈。また、関本もかつて、10年7.25両国のメインイベントでのKO−D無差別級選手権試合で、HARASHIMAのスワンダイブ式蒼魔刀に敗れ王座から陥落した苦い思い出がある。

 王者組はキャリアの浅い樋口を狙い撃ち。HARASHIMAと関本がチョップ、キック合戦で意地を張り合えば、丸藤と関本も手をつないだ状態でチョップの応酬を展開。樋口は長身を生かし、丸藤に串刺しラリアット、チョークスラムを放つと、不知火をキャッチして阻止。すかさず関本がアルゼンチンバックブリーカーで捕獲すると、樋口もHARASHIMAをカナディアンバックブリーカーでとらえる。

 15分過ぎ、樋口は関本ごと丸藤を眉山でブン投げると、HARASHIMAの蒼魔刀、ハイキック、リバースフランケンシュタイナー、バズソーキックを立て続けに食らいながらも、起き上がって張り手、ヘッドバット、ドクターボムを炸裂。関本が丸藤を投げっぱなしジャーマンでダウンさせる間に、樋口がHARASHIMAをぶちかましで吹っ飛ばし、轟天で勝利を収めた。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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