サファテが語る役割とリーダーシップ「声を出し、結果を出して、姿勢で示す」
2017年はシーズンMVP、日本シリーズMVP、シーズン最多セーブなど記録にも記憶にも残る活躍を見せたサファテ 【写真は共同】
「信じられないシーズンだった」
いろいろな事情を考えれば、信じられないようなシーズンでしたね。妻が病気で一緒にいられなかったので、彼女と娘たちのことをずっと心配していました。もう辞めてしまおうと思ったことも何回かありました。そんな状態であれだけの成功を手にできたことに、まずは神に感謝したいです。特に54セーブといった数字はほとんど奇跡のように感じます。
――現在のご家族の状態は? 夫人が病気なのに加え、娘さんが2月中旬に腕を骨折したんですよね?
娘は体操をしている最中に右腕を骨折してしまって。他の2人の娘たちは元気ですよ。妻はまだ回復の途中で、完治の方法は見つかっておらず、フラストレーションを感じています。ただ、それでも人生は続くのだから、やらなければいけないことをやり続けるだけです。私はプレーを続けます。妻がいつ日本に来られるかは分からないので、今季もつらい気持ちで過ごすことになるでしょう。プレーのための準備はできていますが、家族を心配する気持ちは変わりません。
――昨年は奥様はずっとアリゾナ州の自宅に残ったんでしょうか?
これまで、シーズン中は私と一緒に日本にいたのですが、昨年は体調が良くなかったので、約2カ月を除いて米国のドクターの元にいました。
――そんなつらい状況下で、昨季は多くの記録、偉業を達成しました。特に54セーブはすごい数字ですが、この記録に思い入れはありましたか?
それまでも近いところまで来ていただけに、特別な思いがあったのは事実です。(46セーブの日本記録を持っていた)藤川(球児/阪神)さん、岩瀬(仁紀/中日)さんのことはリスペクトしていたので、そのレベルにたどり着きたいと熱望していました。14年は37セーブ、15年は41セーブ、16年には43セーブをマークしたけど、記録には届かなかった。でも、去年は40セーブに達した時点で、まだ40試合近く残っていて、(記録更新の)チャンスがあると感じました。そして46セーブで並び、47セーブで新記録を達成。大きな喜びを味わうことができただけでなく、その後54セーブまで伸ばすことができました。この記録は今後も破るのは難しいでしょう。
――外国人選手としては史上初の200セーブも達成しましたね。
過去最高レベルの外国人選手として実績を残したいという気持ちは持っていたので、まず外国人史上最多となる178セーブ達成(17年4月2日の千葉ロッテ戦)は大きな意味がありました。そして、200セーブももちろんすごい記録です。そして今、あと21に迫った250セーブに視線は向いています。2000安打、200勝とともに、250セーブが名球会入りの基準であることも理解しています。外国人選手としては(DeNAのラミレス監督に次いで)2人目の名球会入りとなり、工藤さん、ミスター王(貞治ソフトバンク球団会長)と同じグループに入れるのだとしたら、それはとてつもない名誉です。
――昨季は日本シリーズでも第6戦では3イニングを投げるなど、まさに大車輪の活躍でした。疲れは残していませんか?
調子はいいですよ。トレーニングが大好きで、オフの間もコンディション調整に時間を割いてきました。今後も可能な限りはプレーを続けていくつもりで、そのためには適切なワークアウトが必要です。過去5、6年は多くのイニングを投げてきましたが、グッドコンディションを保てています。開幕までまだ時間がありますが、日本に行ったらすぐにゲームに臨める状態だと思います。
「自身の姿勢を伝えることも役割」
チームメートの森(左)にはいろいろとアドバイスも送り、公私ともに親しい関係を築いている 【写真は共同】
ボーカルリーダー(声を出してチームを引っ張るタイプ)の部類に入ると思います。チームがうまくいっていないときは、積極的に声を掛けるようにしていますから。フィールド内外でいろいろと経験を積んできたし、年齢的にも年長です。積極的にアドバイスし、その一方で自分自身の姿勢でも示すことを心掛け、自分ができていないことを言わないように気をつけています。ベースボールはゲームなのだから、負けても世界が終わるわけではない。勝っても負けても、周囲へのリスペクトを忘れずにいたい。この仕事は華やかですが、だからといって周囲を軽々しく扱うべきではない。その姿勢を若手に伝えることも、自分の役割だと思っています。いつか日本を離れてからも、成績や数字面だけでなく、フィールド内外で真摯な人柄だったと覚えていてもらえることを願っています。
――ソフトバンクでは岩嵜翔選手や森唯斗選手の師匠的な存在だと聞きました。具体的にどんなアドバイスをしているんですか?
ショウとユイトとはいい関係を築いてきました。ブルペンで長い時間を一緒に過ごし、夕食に行ったり、出かけたりします。とても才能にあふれた2人なので、彼らがそのことを忘れないように気を配り、開花を助けたいと思っています。ユイトは僕のキャッチボールのパートナーでもあり、多くの時間を一緒に過ごしてきました。家族と過ごす姿勢や、ハードにトレーニングに取り組む自分の姿を見て、最近の彼はかなり変わったと感じています。ショウも一生懸命にウエイトトレーニングをこなし、ハードワークを続けています。何かアドバイスをする必要があると感じたら、ためらわずに声を掛けています。2人とも素晴らしいピッチャーですから、抜本的なアドバイスではなく、球種の選択とか、そういう細かい部分です。公私両面で関わっている彼らからリスペクトしてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。
――外国人選手がリーダーになる際の壁として、言語の違いによるコミュニケーションの難しさが挙げられます。“言葉の壁”を感じることはありますか?
日本語のリスニングは大丈夫で、何を言われているかはだいたい理解できます。話す方は常に通訳に帯同してもらっていますが、もっと流暢に話せればと思うことはありますね。外国人がリーダーになるためには、声を出すだけでなく、まずは結果を出し、同時に姿勢、態度で示す必要があるのは事実だと思います。
――サファテ選手はもう“助っ人”以上の存在として認められている感はありますが、自分がリーダーシップを発揮できていると実感できた瞬間はありましたか?
よく知られていて、盛んに報道もされたのは昨夏(8月1日のオリックス戦後)の出来事でした。「リリーフ陣は疲れがたまっている。先発投手をもっと信頼して投げさせるべきだ」とメディアに話した例の一件です。その日まで先発投手が5、6回でマウンドを降りることが多く、ブルペンに大きな負担がかかっていました。ホークスは日本最高の先発陣を抱えていて、彼らの能力の高さを考えれば、もっとやれるはずだという思いもありました。そこで何か言うとしたら、ユイトやショウではなくブルペン陣で歳上の私でなければならなかったんです。
――“首脳陣批判”とも伝えられましたが、チームとブルペン全体のことを考えた発言だったんですね。
自分が決勝ホームランを打たれた後で、フラストレーションを抱えたまま発言してしまったことは否定しません。その件に関しては工藤さんと話し、謝りました。私は感情的な面もあり、感じたことを口にするのはよくあることです。ただ、あの日、工藤さんを批判する意図はなく、選手を活気づけたかったんだという気持ちは伝えました。そして、その日以降は先発陣が頑張ってくれて、結局はいい方向に運んだのです。
――選手が起用法に意見するのは日本ではあまりないことだと思いますが、工藤監督はどんな風に反応したんでしょう?
次の日にホテルの部屋で話し合い、誰か個人に怒りの矛先を向けたわけではないこと、先発投手陣に自身のポテンシャルを信じて欲しかったこと、工藤さんにも彼らの力量を信頼して欲しかったことなどを伝えました。あの時期、先発投手陣の球数が4、5回で100球程度に達しており、実際には降板させざるを得なかったのは事実です。それでも工藤さんも、ブルペンに負担をかけすぎたことを謝罪してくれました。そして「何かあったらいつでも話に来てくれて構わない」と言ってくれたんです。私も、チーム内にわだかまりを抱えている選手がいたら、代表して話しに行き、解決策を探れる存在でいたいと思っていました。工藤さんはそれまでもいい関係を築いていましたからね。その日以降、ブルペン陣と監督とのコミュニケーションは、よりスムーズになったと思います。その時、チームはパ・リーグ2位だったのですが、それから優勝に向けて快進撃が始まったのはご存知の通り。あの一件が昨季のターニングポイントだったと今でも考えています。