「今年はもう岡田メソッドはやりません」 吉武博文が今治で描くビジョン<後編>
今季は岡田メソッドよりもプレーモデルの構築
選手に岡田メソッドを指導する吉武監督。しかし今年は「プレーモデルを重視する」 【宇都宮徹壱】
プレーモデルというのは、分かりやすく言えば「自分たちがやりたいサッカー」ですよ。(ペップ・)グアルディオラにも(ジョゼ・)モウリーニョにも、それぞれプレーモデルがある。われわれは「2018バージョン」と呼んでいますけれど、3月までにこのプレーモデルを落とし込んで、今季を乗り切らならないといけないわけです。
で、われわれが目指す方向は「ストライカーがいなくても点が取れる」というものでした。このチームを指揮していて、僕は「ストライカーがいなくても点が取れるサッカーをしていたら、ストライカーが育つ」と思いました。何だか禅問答みたいですけれど、桑島良汰はMFなのに去年のJFL得点ランキングで2位タイ(17点)ですよ。自分たちは、特定のストライカーに頼ろうとは思わない。けれども終わってみたら、ちゃんと点が取れる選手が出てくるんですよね。しかも桑島だけでなく、いろいろな選手が点を取っている。「ああ、間違っていなかったな」と思う反面、突出して点が取れる選手が出てきたのは、自分にとって新しい発見でした。
これまでの3年間は、メソッドの構築とトップチームの強化を並行してやってきましたが、今年はもう岡田メソッドはやりません。すでに選手たちも理解しているので、その上でプレーモデルを作る年になります。今季、新加入の選手が10人いて、3分の1が入れ替わりました。この10人については、僕や高司さんから見て「われわれのメソッドにすぐ順応できるだろう」という基準で選びました。でもそれって、本来は普通のことですよ。日本のクラブは「いい選手」の基準が曖昧だと思います。クリスティアーノ・ロナウドは、一般的にいい選手かもしれないけれど、じゃあウチのメソッドやプレーモデルにハマるかどうか、これは分からないですよね。これは極端な例ですけれど。
今年は「ハマりやすいだろう」という選手を選んできましたが、最初のうちは新しい選手だけ集めてトレーニングする必要はあると思います。まずはメソッドを落とし込まないといけないから。でも、いつまでも別々にやるんじゃなくて、誰が出てもわれわれのプレーモデルが表現できるようにしていかないといけない。どんなに選手が入れ替わっても、目指すプレーモデルは変わらない。そのためのノウハウはあるのですが、それは個人のノウハウではなくクラブのノウハウです。その監督がいなくなったら終わりではなくて、どういう監督が来ても基本的なプレーモデルは変わらない。もちろん、監督のカラーというのはあるんだけれど、「山を登る」という目的が同じなら、何も問題はないと思っています。
目標は「僕がやっていることが目立たなくなる」こと
岡田オーナーから「日本のグアルディオラになれる」と言われた吉武監督の望みとは? 【宇都宮徹壱】
この3年間、ずっと岡田さんと一緒に仕事をしてきて、今治での住まいも同じだったので、ちょっと麻痺しているところがあるかもしれない。CMOとしての岡田さんは、やっぱりいろいろな見方や考え方を持っているので、今でも刺激になっています。ただ、16年の時はかなり無理をしていたんだなと思います。あの年は(年間の)半分くらいは今治に来ていて、練習もずっと見ていましたから。ただ、ポンっとベンチに入っていたわけではないんですよ。試合しか見ていない方は知らないでしょうけれど。一方で岡田さんは、経営のことも考えないといけない立場ですからね。本当に大変だったと思います。
僕らも最初の頃は、岡田さんがCMOとして発言しているのか、それともオーナーとして発言しているのか、ごっちゃになっていたところはあったと思うんですよ。何しろ小さなクラブだから、岡田さん自身もいろいろな役割をこなさなければならなくて、大変だと思います。チームの最終決定を下すのは監督ですが、クラブの最終決定はオーナーだし、結果に対して責任を取るのもオーナー。思い切った決断ができるというメリットはあるけれど、当然ながらリスクもあります。もし失敗したら、岡田さんは自宅を売らなければならない。そこまで責任を負っているオーナーなんて、Jクラブでもなかなかいないですよね。
(岡田オーナーが「吉武は日本のグアルディオラになれる」と言っていたが)それは思いつきで言ったんでしょう(笑)。たぶん「異端」とか「斬新」という意味だったんだと思います。日本は今回もW杯に出場しますけれど、サッカー文化で考えたら世界で32番目ではなく、残念ながらもっと下だと思っています。僕としては、自分が今やっていることが、異端でも斬新でもなくなってほしい。これが普通になる、僕がやっていることが目立たなくなる。そうなっていけば、世界のサッカーに少しでも近づいて、日本でもサッカーが文化として根付いていくことにつながっていくんじゃないか──。そう思っています。