日本ボブスレー陣の強化施策とは? 撒いた種が北京で花開くために――
五輪直前となる5日には、98年長野五輪のコースとなった国内唯一の国際大会認定コース「スパイラル」(長野県長野市)が財政難のために製氷を中止。そのため国内でトレーニングできる施設もなくなるなど、そり競技においては逆風が吹いている。
実際、日本の競技強化はどうなっているのか。今回は日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟の鈴木省三競技委員長に話を聞いた。
世界と戦うためのコーチを海外から招へい
この現状について鈴木委員長は「(出場権の減少については)しっかりと専門部会で検証しなければいけない」と前置きしつつも、ソチ五輪後の強化の骨子については「1つは新人発掘、もう1つは世界のトップ・オブ・ザ・トップの指導者を呼び、そこに力を注力するという戦略をとりました」と話す。
指導者についてはドイツ出身のハンス・ウィマー氏をボブスレーのヘッドコーチとして招へい。スイス、オーストリア、ドイツのヘッドコーチを務め、98年の長野五輪ではスイスチームを銀メダルへと導いている。
「彼が一番優れているのはやはりデータ分析です。例えばスタートからゴールするまで5カ所の中間タイムが出るのですが、われわれは今までA点からB点まで何秒かかったかと引き算で計算していました。そうするとこの区間は時速何キロで、この区間が海外の選手と比較して速度が遅いなとなり、そのために区間のライン取りを分析しようという話になります。
ただ彼が持っている分析ツールのアルゴリズムは、ドイツ伝統のもので、例えば、C点からD点の速度が遅くなるのは、その前の地点でのライン取りがどれぐらい影響しているかを計算できるアルゴリズムを持っています。それにプラスして彼は、難しいカーブをカメラで撮影し、そのラインと速度を分析し、どこのカーブのどのポイントを改善するとゴールタイムがこれぐらい上がるという分析をするのです。これは日本チームが持っていない世界最新の分析システムでした」
ボブスレーが五輪競技として採用されたのが1924年のシャモニー・モンブラン大会。日本は72年の札幌大会から連続出場していたが、メダル争いにはいまだ絡んだことがない。
「日本の何が問題かと言いますと、過去に五輪でメダルを取った選手が誰もいないということです。われわれ連盟の方針では、五輪に参加することが目標ではなく、出場をするなら入賞やメダルを狙う、そのような選手を育成しようと強化しています。その選手を育てるために、日本でそういう実績を持つ人がいないのであれば、諸外国でメダルを取らせたコーチを探し、本物を体感させようということです」
ハンスコーチの指導を通して、世界のトップに触れることが五輪でメダルを争うための近道と考えた。その結果として、ソチ五輪後に強化を進めたボブスレー女子2人乗りでは、押切麻李亜(ぷらう)、君嶋愛梨沙(日本体育大)組が17年2月の世界選手権(ドイツ・ケーニヒスゼー)で7位入賞を果たしている。
他競技からの転向選手をスカウティング
「ボブスレーもスケルトンも、エンジンの代わりをするのが(スタートでそりを押す際の)スプリント力なんです。リュージュもそうですが、乗り込めば後はスムーズに滑れればいいので、あとは滑走技術とマテリアルを含めた総合力になりますが、重要な3つの要素の1つです」
ただ、そり競技を小さな頃から選択して取り組む選手はほとんどおらず、ジュニア世代の強化に取り組むことはできない。そのため連盟として取り組んでいる「新人発掘」は、他競技からのスカウトとなる。
前述した君嶋は大学の陸上部に所属しており、関東インカレの女子100メートルで優勝する実績を持っている。そのスプリント力を生かし、そりを加速させるブレーカー役を担当した結果、競技転向後すぐに世界選手権での実績を残した。
「ソチ五輪が終わった後には人材発掘に力を入れました。とにかく『選手なくして強化なし』ということで、人材発掘の部門を立ち上げました。人材発掘の目的は何かと言いますと、強化に必要な質の高いジュニア、もしくは即戦力をスカウトしています」
人材発掘の部門は、ナショナルトレーニングセンターなどとも協力し、タレント発掘事業を行って、チャレンジしてみたいという選手に声をかけてきた。また14年には、女子スケルトンで「女性アスリートの育成・支援プロジェクト(女性競技種目戦略的強化プログラム)」としてトライアウトを実施し、他競技の選手を広く集めて、平昌五輪に向けての強化プログラムを組んだ。
「そのような強化を図り、昨年の世界選手権では7位を取り、ボブスレー史上最高成績に入りました。私たちとしても、この勢いを継続しながら五輪でボブスレー初の優勝やメダル獲得ということに注力しました。五輪においては前年の成績が本大会での成績と非常に相関が強いので期待していたのですが、残念ながらその目標はかないませんでした。しかしここでしっかり検証し、次の北京五輪で夢の実現に向けた強固なプログラムを再計画しているのが現状です」