相川亮二が歩んだプロ生活23年 “キャッチャー歴数カ月”から名捕手へ

週刊ベースボールONLINE

11月のファンフェスタで引退セレモニーが行われ、チームメートから胴上げされた相川 【写真:BBM】

 相川亮二はキャッチャー経験わずか数カ月でプロ入り。1軍初出場は5年目と、入団当時、23年後の姿を想像することもできなかっただろう。横浜(現横浜DeNA)で正捕手に定着するまでにはさらに年月を要したが、その後、FA移籍を2度経験し、日の丸を背負って五輪に1度(銅メダル獲得)、WBCに2度(世界一を経験)出場するなど、いつしか日本球界を代表するキャッチャーに。「気づけばあっという間」という23年間を回顧する。

 取材場所となった都内球団事務所の一室で出迎えてくれた相川の表情は、ペナントレース中の厳しいものとは打って変わって、柔和で晴れやかだった。1995年にプロの世界に飛び込んでから23年。第一線を走り続け、惜しまれながらも「完全燃焼」でミットを置いた。

CS進出がなくなり引退を決断

──23年間、お疲れ様でした。プロ野球の歴史は長いですが、これだけの期間を現役でプレーできる選手は限られています。23年という年月をどう感じていますか。

 終わってしまうと、何だかあっという間でしたね。23シーズンをプレーさせてもらいましたけど、よくよく考えてみると、1シーズン1シーズンがあっという間。確かにこれまでも「長いなぁ」と感じることはなかったんですよ。オフなんか、本当に一瞬ですし(笑)。23年間、いつの間にか過ぎていってしまった。そんな感覚ですね。

──10月3日に引退を表明してから約3カ月が経ちますが、野球がない日々をどう過ごしているのですか。

 年内はゆっくり過ごそうと思っていたので、そのとおりに過ごしています。

──Facebookには引退発表の3日後に、「我慢できなかった」とトレーニングジムから写真をアップしている投稿がありましたよ。

 なんかこう、気持ちが悪いんですよ。子どものころから毎日運動していましたから。何もしないと体がダメになっちゃいそうで(笑)。ただ、いまはまだ現役であったとしてもオフの時期なので、野球から離れた実感はないんです。きっと何かを感じるのは、自主トレの時期や、キャンプでユニホームを着る時期になったころなんでしょうね。

──どんな感覚に陥ると思いますか。

 想像がつきませんね。でも、23年間、アマチュア時代を含めればもっとですが、本当にやり切ったので。多少、引っ掛かる部分は1つや2つあるにせよ、後悔はまったくないし、自分の中で「よし、辞めよう」と区切りをつけてユニホームを脱いでいるので。野球は好きだし、やりたいなと思うでしょうけど、引きずるようなことではないですね。

──なるほど。

 それに、実際、ホッとしているんです。これ以上キツいトレーニングをしなくていいですし、どこか体が痛いのを気にせずに過ごすこともできますから。キャリアの最後のほうは関節という関節のすべてが痛かった。朝起きて、「今日ボール投げられるかな?」「走れるかな?」「(キャッチャーとして)座れるかな?」とか、そんなレベル。今はどこか痛くても何の問題もないですからね。

──あらためて引退を決断するに至った経緯を教えてください。まず、引退を決めたのはいつのことですか。

 10月1日の阪神戦に負けて、クライマックスシリーズ(CS)進出がなくなった、その日の夜に自分で決断しました。

──球団からは必要な戦力として契約延長の話があったと聞きます。

 ありがたいことに、そういうお話をシーズン中からいただいていました。そこからしばらく考える時間があり、そしていろいろ考えに考えを重ねて、阪神に負けたことで、スパッと。辞めるならココだな、と。自分が仕事をする場所がなくなったのが一番で、次のシーズンを戦う気持ちが薄れて体も目いっぱいで追い付かなくなってきたことも理由です。

──現役最後の試合は10月3日の古巣・東京ヤクルトとの一戦でした。

 高橋(由伸)監督からは「マスクをかぶれ」と、何度も何度も言っていただいていたんですが、一カ月近くキャッチャーとして試合に出ていなかったですし、最後に1軍の舞台に立たせてもらえるだけで十分でしたので、スタメンとか、キャッチャーで出ることについてはお断りしました。もちろん、キャッチャーにはこだわりはありますけど、例えば、同じく17年いっぱいで現役を引退した片岡治大(2軍内野守備走塁コーチに就任)らは、やりたくてもプレーできない状況でしたよね? そういうことを考えれば、試合に使ってもらえるだけで十分でした。

──結果的に、9回表の先頭に代打で登場し、ショートへの内野安打と意外な結果でした。

 三振しようが凡打しようが、結果はどうあれ思いきって行こうと。内野安打は予想もしていなかったですけど(笑)。

──最後は両球団の選手によって胴上げされ、目には熱いものが。

 辞めることでさみしくて泣いたわけではないんですよ。ジャイアンツ、スワローズの両球団の選手が、あの機会をつくってくれたことがありがたくて、グッときてしまいました。

1/3ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント