久保裕也の言葉で追う紆余曲折の前半戦 監督交代でチームが復調、自身も復活へ
監督交代で14位から5位へジャンプアップ
一時は自分を失っていた久保だったが、監督交代後に徐々に調子を上げてきた 【Getty Images】
久保裕也も徐々に調子を上げてきた。10月27日(現地時間、以下同)のシャルルロワ戦ではペナルティーエリアの中で巧みな切り返しからシュートコースを作り、カーブをかけたコントロールシュートで相手ゴールのサイドネットを揺らした。11月24日のムスクルン戦ではハーフウェーライン辺りからドリブルでボールを持ち込み、左右の足を使った細かいタッチとシザースでマーカーを翻弄(ほんろう)してからシュートを決めた。いずれもゴラッソである。
チーム同様、一時は己のあるべき姿を失っていた久保が、やっと自身を取り戻した――。観客席から見ている私は、そう感じている。
つまずきのきっかけはEL予選の敗退
「僕ら(3人のアタッカー)は前で待っていて、一瞬の動きでパスを受けろという感じ。でも、受けた後がなかなかない。今は個人でやるしかないという状況です。そのことは他のチームメートも言っていました」(アルタッハ戦後の久保)
アタッカー陣に与えられたハイン・ファンハーゼブルック監督(当時)の指示は「下がってくるな」。3−4−2−1フォーメーションの“2−1”は相手バックを背負い続ける形となり、チームの調子が上がらない中、久保もなかなか思うような形でボールを受けることができなかった。
8月27日のアンデルレヒト戦(0−0)、久保は残り16分のところでMFブレヒト・デヤーヘレに代わってピッチに入っていった。この交代によって、ゲントは1トップ2シャドーシステムから、久保をトップに置く2トップ1シャドーシステムに変わったかのように思えた。
「多分、コーチから『左サイド』って言われたんですけれど、左サイドにいてもアレかなと思って、真ん中で好きにプレーしていました」(アンデルレヒト戦後の久保)
実際にはもっと左に張ったところからプレーするようコーチから指示を受けてピッチに入ったのだが、そこでのプレーのイメージが沸かなかったのか、自身の判断で久保はストライカーの位置でプレーした。
右サイドでの葛藤
第10節のベフェレン戦から指揮を執るようになったファンデルハーゲ監督 【Getty Images】
その4日後、ベルギーリーグ第8節のズルテ・ワレヘム戦を0−1で落とし、16チーム中14位になったゲントの首脳陣はファンハーゼブルック監督の更迭を決断。ピーター・バレット暫定監督を挟んで、第10節のワースラント・ベフェレン戦からファンデルハーゲ監督が指揮を執るようになり、チームと久保が右肩上がりで調子を上げていった。
ファンデルハーゲ監督のもと、久保が最初からスムーズにいったわけではない。久保に与えられたポジションは4−2−3−1の右ウイングだった。ファンハーゼブルック監督時代より、さらにサイドからプレーすることが久保に要求されたのだ。右ウイングとして2試合目となったコルトレイク戦(10月21日、1−1)後、久保は右ウインガーとしての難しさを語っていた。
「右サイドで相手に引かれた時に受けて、ボールを持って仕掛けて――、というのができていない。それができれば、だいぶ状況が変わると思う。もうちょっと右サイドをやれるようになれれば……。というか、代表でもそれをやっていますし、課題かなと思います。足元で受けた時に1枚はがせれば相手をぶっちぎれる。このチームは多分、そういうサイドアタッカーが求められるので(自分にも)そういうのが必要かなと思いました」(コルトレイク戦後の久保)
久保の話を聞いていて、「サイドに張って足元にボールを受けて、そこから縦にドリブルで仕掛けてチャンスメークするのが久保の特長なのだろうか?」という違和感が残った。この試合で久保は64分でベンチに退いた。そろそろスタメン落ちもあり得そうな雰囲気だった。