スイスで評価を高める久保裕也の歩み=心身ともに成長し日本代表へ近づく
「憧れの選手はダビド・ビジャ」
久保はスイス移籍後、11試合で5ゴールと輝きを放つ 【写真:アフロ】
山口県で生まれ、中学時代に活躍を見せた久保は、友人の原川力とともにスカウトされ、若い選手をアスリートとしても学生としても成長させる京都の育成プログラムに参加することになった。
立命館宇治高校で歴史の教師を務めながらサッカー部の活動にも携わっていた私は、この学校のカフェテリアで彼と出会い、親交を深めた。まだシャイな10代の高校生だったユウヤはサッカーの話になるといつも目を輝かせ、「憧れの選手はダビド・ビジャ」だとよく話してくれた。
輝きを失い、ベンチ生活を強いられた2年目
だが京都での2年目は、1年目とは程遠いものになってしまう。12年に決めたゴールはわずか1点のみ。決定的な場面でPKを失敗してしまうこともあり、チームはこの年1ポイント差でJ1昇格を逃した。
シーズン序盤の試合では先発で起用され、まずまずのパフォーマンスを見せていたのだが、たびたびゴールポストにシュートを阻まれる不運もあった。その後、輝きを失った久保はベンチからチームメートを見守ることが多くなり、スタンドからの観戦となることも少なくなかった。
「あの年が何もかもダメだったとは考えたくないですけどね。ただ、もうそのことは忘れたいです」と最近ユウヤは話していた。プロとしての1年目は、多くの若手選手にとって厳しい挑戦となるものだ。毎日学校に通って練習をするという、ある意味単純な繰り返しの毎日から、1日に2時間だけ練習をして、あとは自由な時間という生活への変化はあまりに大きい。
自宅を遠く離れ、柳沢敦が去って以来、リーダーらしいリーダーを欠いていたチームでプレーするのは、ユウヤにとって簡単なことではなかった。それでも、京都ユース時代から一緒に成長してきた同期のチームメートたちに支えられながらこの苦しい1年を乗り越えた彼は、13年に再びその得点力を取り戻すことに成功する。
何も分からないままスイスへ飛び立つ
ドイツ語をまったく話すこともできず、これから何が自分自身を待ち構えているのかも分からないままに、久保は6月29日の栃木SC戦を最後に京都での時間を終えると、そのまま成田へと直行してスイスに向けて飛び立って行った。
新天地は最初から好印象だったようだ。「景色もすごくきれいだし、みんな親切な人ばかりですよ」と、ヨーロッパでの新生活のスタートについて彼は話していた。