オグリ育てた名伯楽の言葉が忘れられない 追悼・瀬戸口勉調教師

橋本全弘

競馬ブームの立役者

オグリキャップ、ネオユニヴァースなど名馬を何頭も育てた瀬戸口調教師(右)との思い出を綴る(写真は1990年安田記念、鞍上は武豊) 【写真は共同】

 怪物オグリキャップを始め数々の名馬を育てあげ、競馬ブームの立役者だった瀬戸口勉元調教師が去る9日、急性白血病で滋賀県栗東のご自宅で亡くなられた。オグリキャップの番記者として瀬戸口調教師とは取材は、もちろん、公私ともに大変お世話になり数多くの思い出がある。早すぎる死を悼み、先生との思い出を綴り追悼としたい。

いつも控えめに多くを語らず

 私は関東のスポーツ新聞社に所属する競馬記者だったので瀬戸口調教師との関わりが始まったのはオグリキャップが目覚ましい活躍を始めた頃であった。公営・笠松競馬から鳴り物入りで中央競馬・瀬戸口厩舎に入り、中央競馬のエリート達をなぎ倒しながら快進撃を続ける怪物オグリキャップ。北海道三石の小さな牧場で生まれ、血統も大したことない1頭のサラブレッドは草競馬と言われる公営笠松競馬でデビュー。圧倒的な強さで競馬の“檜舞台”と言われる中央競馬へ転身、さらに目覚ましい活躍を続ける……。まさに立身出世を地で行く1頭のサラブレッドの姿に競馬ファンばかりでなく、多くの人々が感動を覚え、競馬サークルを超え、社会現象としてブームが広がっていった。この大物サラブレッドのサクセスストーリーを紙面で大きく取り上げるには関東からも記者を派遣して、調教師を始めスタッフたちにじっくり取材をしなくてはならない。

 そんな東京スポニチでオグリキャップ番記者に指名されたのが私だった。あれも聞こう、これも聞こう……と勢い込んで乗り込んだ栗東・瀬戸口厩舎。しかし、瀬戸口調教師は元来、寡黙な方であった。数多くの質問を用意し、何度も何度もうかがったが先生は多くを語らず

「まぁそんなところかなぁ」

「具合はいいと思うよ」

「まあ、いけると思うけどなぁ……」

と、どんな大一番の前でも景気のいい言葉を発することはなかった。鹿児島出身の薩摩隼人。

 言葉よりも結果を見てくれ……そんなタイプの方だったと感じ、私は、あくまでも調教師と記者という少し距離を置いたスタンスをとった。その分、取材は調教担当の辻本助手や池江厩務員が主となり、私はオグリキャップの記事を書き続けた。

今も語り継がれる1990年有馬記念引退レース直後のオグリキャップと筆者。もちろん本命を打った 【提供:橋本全弘】

 快進撃から海外遠征前のケガ、そして不調の中から不死鳥のように甦ったラストラン有馬記念。引退後、馬産地に巻き起こったオグリフィーバー。その時々に瀬戸口調教師を取材したが、いつも言葉少なに控えめに答えるだけで多くを語らなかった。

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著者プロフィール

 1954年生まれ。愛知県出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、スポーツニッポン新聞東京本社に入社。87年、中央競馬担当記者となり、武豊騎手やオグリキャップ、トウカイテイオー、ナリタブライアンなどの活躍で競馬ブーム真っ盛りの中、最前線記者として奔走した。2004年スポニチ退社後はケンタッキーダービー優勝フサイチペガサス等で知られる馬主・関口房朗氏の競馬顧問に就任、同オーナーとともに世界中のサラブレッドセールに帯同した。その他、共同通信社記者などを経て現在は競馬評論家。また、ジャーナリスト活動の傍ら立ち上げた全日本馬事株式会社では東京馬主協会公式HP(http://www.toa.or.jp/)を制作、管理。さらに競馬コンサルタントとして馬主サポート、香港、韓国の馬主へ日本競馬の紹介など幅広く活動している。著書に「名駿オグリキャップ」(毎日新聞社)「ナリタブライアンを忘れない」(KKベストセラーズ)などがある。

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