オグリ育てた名伯楽の言葉が忘れられない 追悼・瀬戸口勉調教師
競馬ブームの立役者
オグリキャップ、ネオユニヴァースなど名馬を何頭も育てた瀬戸口調教師(右)との思い出を綴る(写真は1990年安田記念、鞍上は武豊) 【写真は共同】
いつも控えめに多くを語らず
そんな東京スポニチでオグリキャップ番記者に指名されたのが私だった。あれも聞こう、これも聞こう……と勢い込んで乗り込んだ栗東・瀬戸口厩舎。しかし、瀬戸口調教師は元来、寡黙な方であった。数多くの質問を用意し、何度も何度もうかがったが先生は多くを語らず
「まぁそんなところかなぁ」
「具合はいいと思うよ」
「まあ、いけると思うけどなぁ……」
と、どんな大一番の前でも景気のいい言葉を発することはなかった。鹿児島出身の薩摩隼人。
言葉よりも結果を見てくれ……そんなタイプの方だったと感じ、私は、あくまでも調教師と記者という少し距離を置いたスタンスをとった。その分、取材は調教担当の辻本助手や池江厩務員が主となり、私はオグリキャップの記事を書き続けた。
今も語り継がれる1990年有馬記念引退レース直後のオグリキャップと筆者。もちろん本命を打った 【提供:橋本全弘】