用具も環境も変わる車いすテニス
45歳金メダリストが見てきた20年

 10月のある日、車いすテニスのトップ選手がトレーニングを積む吉田記念テニス研修センター(千葉県柏市)に、人気タレント武井壮さんがNHKの撮影で訪れた。スポーツナビはこれに同行し、競技を体験する武井さんのコーチ役として出演した齋田悟司(シグマクシス)に、第一線で見続けた車いすテニスの20年を振り返ってもらった。

選手も感じるパラスポーツ盛り上がりの機運

96年から16年まで、6大会連続でパラリンピックに出場してきた齋田。競技の変遷を間近で見てきた
96年から16年まで、6大会連続でパラリンピックに出場してきた齋田。競技の変遷を間近で見てきた【スポーツナビ】

 東京五輪・パラリンピックの開催までいよいよ1000日を切ろうとしている。ジャック・ロゲIOC会長(当時)が「TOKYO」と読み上げた2013年9月のあの日から、日本スポーツ界には強い追い風が吹き続けてきた。


 パラスポーツも例外ではない。車いすテニス選手として96年アトランタ大会から16年リオ大会まで6大会連続でパラリンピックに出場し、45歳となった今でも第一線で活躍する齋田は、競技環境の変化をこう語る。


「自分が初めてパラリンピックに出た96年の時は、全くと言っていいほど(世間から)注目されていませんでした。パラリンピックの存在自体を知らない方もいらっしゃったくらいで。


 そこから年を追うごとにアトランタよりもシドニー、シドニーよりもアテネと徐々に徐々に環境は良くなってきていたのですが、東京が決まった頃からさらに急激に上がったのかなと肌に感じています。


 また『五輪だけではなくパラリンピックも一緒にやるんだよ』というスタイルを政府はじめ東京(都)が打ち上げてくれたおかげで、企業の方たちも『パラスポーツを応援しよう』という機運になってきました」

「弱い日本」から生まれた絶対王者

リオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを獲得した齋田、国枝組
リオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを獲得した齋田、国枝組【写真:アフロスポーツ】

 今でこそ、パラスポーツの中でも有数の注目度を持つ日本の車いすテニス界。しかし20年前、齋田が初めてパラリンピックに出場した頃は、子ども向けの競技用車いすも存在しない門戸の狭い競技だった。14歳で競技を始めた齋田は「その頃から180センチ近くあったので僕は大人用で十分でした」と笑うが、黎明期ならではの苦労は用具面にとどまらない。


 2000年から世界ツアーへ本格参戦した齋田を待っていたのは、海外勢からの洗礼だ。「日本というだけで『弱い国』と見られていました。今のようにコーチの帯同も無いので1人で行って、練習相手やダブルスパートナーを現地で探さないといけないのですが、誰も相手にしてくれない」。


 そんな苦境も実力で切り開いてきた。齋田がパラリンピックシドニー大会で8位入賞を果たし、世界ツアーでも実績を残すようになると、日本選手に対する風向きも変わってくる。


「ちょっとずつ海外のみんなから認められるようになって。ダブルスパートナーも向こうから声をかけてもらえるようになったり、ようやく自分の居場所ができてきました」


 ひと回り年下の国枝慎吾(ユニクロ)とのペアで、04年アテネ大会で齋田はついに世界の頂点に立つ。齋田の後を追うように世界へ飛び出した国枝はその後、シングルスでパラリンピック2連覇、5度の年間グランドスラム達成など“絶対王者”として君臨し、日本勢に対するイメージを180度変えてみせた。

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