原口元気は正真正銘、ヘルタの選手です ライター島崎の欧州サッカー見聞録(3)

島崎英純

とにかく基礎トレーニングを多くこなします

原口は全体練習後、トレーナーと2人でダッシュトレーニングに勤しんでいる 【写真:アフロ】

 あっ、忘れてました。元気の精進と努力のことです。控え組中心の練習は約1時間。日によって2部練習のときもありますが、1回の練習時間はだいたいこの程度だそうです。全体練習後に他の選手が足早に引き上げる中で、元気はトレーナーと2人で黙々とダッシュトレーニングに勤しんでいます。僕は浦和レッズ在籍時代から元気のことを取材していますが、当時はこんなに練習後に自主トレーニングをしていたかなぁ。少なくともカットインからのシュート練習は頻繁にしていた記憶がありますが、地味なダッシュなどはそれほどしていなかったと思います。

 でもドイツに渡ってからの元気は、とにかく基礎トレーニングを多くこなします。またグラウンドで体を動かした後はクラブハウスに戻って筋力トレーニング。チーム全体の筋トレメニューはよく組まれるらしいのですが、自主的に筋力強化を図る選手はチーム内でも珍しいそうです。それほど今の元気は、基礎体力の向上が重要だと考えている。それが本番のピッチで必ず生きると信じ、確固たる目標に向けて邁進(まいしん)しているのだなと感じました。

 そういえば、バイエルン戦のアシストに至ったカットイン時のボールタッチは浦和時代とは異なるものでした。浦和で見せていたカットインは左エリアから右足アウトサイドで右へ、右へと流れて右足シュートを放つのが必殺パターン。タッチとしては右アウト、右アウト、もう一度右アウト、そして右足シュートという形が主だったように思います。でも、バイエルン戦の元気はほとんどのボールタッチを右足アウトサイド、右足インサイドとダブルタッチしています。

 ボアテングやフンメルスをかわしたプレーはまさにこの形で、常にボールを体の真ん中に置くように心掛けているように感じました。ただ、そのようなスキルを発揮するには、相応な体力と筋力を必要とします。また、このときの彼は背筋がスッと立ち、フェイスアップした状態でプレーをし続けていた。だからこそ、目まぐるしく移り変わる戦況の中で的確な判断ができたのではないでしょうか。

「以前の俺ならボアテングをかわした瞬間に、右足でシュートを打っていたかもね。でも、ドリブルで右へ流れていった方がゴールの確率が高まると思ったし、フンメルスをかわしたときには、パスに切り替えたほうが良いと判断できた。あのときは、周囲の状況をしっかり把握できたんだよ」

 体軸を振らさずに正確なプレーを繰り出す根底はオリンピアパークのトレーニングピッチにある。彼の言葉を聞いて、そう確信するに至りました。

繰り出すスピードドリブルは、まさに”鉈”

 かつて、戦後の日本競馬界初の三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を達成したシンザンという名馬がいました。当時、シンザンの圧倒的な強さを目の当たりにした管理厩舎の武田文吾調教師は「コダマ(当時の同じく名馬)は剃刀(カミソリ)、シンザンは鉈(ナタ)の切れ味」と評したそうです。これは剃刀、鉈のどちらが切れるかという比較ではありません。剃刀が一瞬で一点を切る鋭い刃ならば、鉈は細く長い幅を一気にぶった切る。武田調教師は一瞬の末脚で相手を突き放すコダマを”剃刀”、長い距離を圧倒的なスピードで走り切るシンザンを”鉈”に見立てたのだと思います。

 例えば、前回のコラムで記した宇佐美貴史(フォルトナ・デュッセルドルフ)の瞬発的なスプリントで相手を振り切るドリブルが”剃刀”ならば、元気が繰り出すロングディスタンスのスピードドリブルはまさに”鉈”。そう、元気は伝説のクラシック三冠馬、シンザンの生まれ変わりなのです!(元気は馬じゃない……)。

 ちなみに僕が生涯で一番好きな競走馬は第57回の日本ダービー馬・アイネスフウジン。逃げ馬の彼が東京競馬場のゲートをいち早く抜け出て先頭に立った瞬間に「そのまま!」とさけんだら本当にそのままゴールまで駆け抜けてくれた文字通りの孝行馬……。あっ、すみません、話が激しく脱線してしまいました。

 ボールを蹴ることに至福の喜びを感じ、食事をしている最中も常に携帯でサッカーの試合をチェックしている永遠のサッカー少年がピッチに立つチャンスを与えられない。8月末からの約1カ月半は、元気にとって本当に苦しく、辛い日々でした。

スタジアムに響いた7万人の「ハラグチ」コール

正真正銘、原口はヘルタ・ベルリンの選手だ 【Getty Images】

 それでも、彼がバイエルン戦でドゥダのゴールをアシストして晴らしたのは鬱憤(うっぷん)ではない。たとえどんな境遇に置かれても、クラブ、チームのために精魂を込めて尽力する。その証が、あのアシストへとつながったのです。

 元気はかつて、こう言っていました。

「浦和時代は常にサポーターに支えられながらプレーしている感覚があった。でもベルリンでは、もう3年以上もプレーしているのに、その感覚を得ることができないでいる。それはたぶん、俺がまだ、ヘルタのサポーターから信頼されていないからだと思う。

 子供のころ、よくレッズの試合を見ていた。特にFWの選手は憧れの存在だった。中でも俺は(田中)達也さん(アルビレックス新潟)のプレーに魅せられていた。達也さんが必死の形相でボールを追いかけて、常にゴールを目指して戦っている姿が好きだった。達也さんは常にチームの勝利のために、懸命にプレーしていた。それを見て、『俺も達也さんみたいな選手になりたい』と思った。プレーがうまい、下手ではなくて、サポーターから『頼む!』と言ってもらえるような、そんな選手になりたいって思ったんだ」

 ヘルタのスタジアムアナウンスはホームチームのゴール後に得点者だけでなくアシストした選手の名前もコールします。バイエルン守備陣をごぼう抜きにしてドゥダのゴールをアシストしたとき、アナウンサーが「ゲンキーーーーーー」とさけぶと、約70,000人の「ハラグチ!」という大コールが響き渡りました。

 元気、オリンピアシュタディオンのサポーターが放った君への想いを聞いたかい? 懸命に闘い続ける君の姿に、ヘルタのサポーターがどれだけ魅了されているか。僕はメーンスタンドの片隅から、それをひしひしと感じたよ。

 青と白のユニホームが映える、燃えるような情熱を宿したアタッカーが目の前にいる。
 原口元気。彼は正真正銘、ヘルタ・ベルリンの選手です。

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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