シャペコエンセに寄り添うJのサポーター スルガ銀行杯は「忘れられないゲーム」に

宇都宮徹壱

「救われた瞬間」を演出した浦和サポーター

シャペコエンセのゴール裏には、墜落事故の犠牲者が所属していたJクラブサポーターの姿も 【宇都宮徹壱】

 しかし、試合はまだ終わらない。アディショナルタイムの表示は6分。そこからさらに時間が加算されて、終了のホイッスルが鳴り響いたのは45+10分であった。そして勝敗が確定してもなお、シャペコエンセの選手たちは審判団に執拗(しつよう)に食い下がっていた。確かにブラジルの選手は、日本では考えられないくらい負けず嫌いである。だが思うに彼らは、コパ・スダメリカーナの決勝を戦って優勝していないことに負い目のようなものを感じていて、だからこそこのタイトルを心底渇望していたのではないか。いずれにせよ、これ以上の抗議は何ら得るものはなく、むしろ彼らの印象を悪くするばかりである。

 そんなシャペコエンセを「救った」のが、浦和のサポーターたちであった。ちょうど浦和の選手たちが優勝トロフィーを掲げた直後のこと。浦和のゴール裏に、シャペコエンセのクラブカラーであるグリーンのコレオグラフィーが現れる。さらに、ポルトガル語で「もう一度、世界の舞台で戦うことを楽しみにしています。ありがとう、友よ」と書かれた横断幕も掲出された。怒り心頭だったシャペコエンセの選手たちも、これには心底驚き、いたく感動したようだ。何人かの選手たちは浦和のゴール裏に歩み寄り、自分たちのユニフォームを投げ込んで謝意を示した。

 それはまさに「救われた瞬間」であった。実はPKの判定から阿部のゴールまでの間、あまりにも試合が中断していたことに業を煮やして、浦和のゴール裏からブーイングが起こっている。ある意味、当然の反応であった。それでも試合が終われば、自分たちのクラブカラーとは関係ない(むしろあまり好きではないと思われる)グリーンのコレオグラフィーを掲げたところに、同じサッカーファミリーとして寄り添おうとする心意気が感じられた。自分たちの勝利を喜ぶだけでなく、悲劇から立ち直った対戦相手へのリスペクトも忘れない。そんな光景が目撃できただけでも、この日の試合を取材してよかったと心底思えた。

 この日の入場者数は1万1,002人。ちょうど1カ月前、同じ埼スタで行われたボルシア・ドルトムント戦の5万8,327人と比べると、いささか寂しい数字ではある。だが、Jクラブが南米のクラブに勝利したこと以上の意義が、今回のスルガ杯にはあったのではないか。シャペコエンセのゴール裏では、ブラジル人に混じってC大阪や川崎のサポーターたちも声援を送っていた。いずれも、昨年11月の墜落事故で亡くなった選手たちが所属していたクラブである。サッカーファミリーとして寄り添う姿勢は、スタンドのあちこちで目にすることができた。殊勲の決勝ゴールを挙げた阿部が語ったとおり、今年のスルガ杯はまさに「忘れられないゲーム」となった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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