記憶に刻まれる有数の王者・内山高志 努力で昇華した遅咲きのボクサー人生

船橋真二郎

現役引退を表明した内山高志。その戦いは記録にも記憶にも残る 【写真は共同】

「今日で引退することを決めました」――。

 進退が注目された前WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志(ワタナベ)が7月29日、渡辺均・ワタナベジム会長とともにテレビ東京で記者会見に臨み、その決意を明らかにした。

 埼玉・花咲徳栄高校でボクシングを始め、拓殖大学、社会人にかけて全日本選手権3連覇、国体優勝とアマチュア4冠を達成した。最終目標のアテネ五輪出場を逃し、一度はグローブを吊るしたが、2005年7月に25歳でプロ転向。37歳まで足かけ12年に及んだプロ生活に別れを告げた。昨年4月にまさかの2回KO負けでベルトを奪われたジェスレル・コラレス(パナマ)に雪辱を期したものの、判定負けで返り討ちにされた昨年大みそかの試合がラストファイトになった。

 生涯戦績は27戦24勝(20KO)2敗1分。世界王座在位期間6年3カ月、世界戦通算10KOはともに日本歴代1位。世界王座11連続防衛は歴代3位。数々の記録を打ち立てたが、何より“ノックアウト・ダイナマイト”の異名を取り、詰め将棋にもなぞらえられる緻密な戦略の先に生み出される痛快なKO劇で、記憶にも刻まれる有数の王者だった。

「中途半端な気持ちでは試合をできない」

「前のように練習で追い込めない」ことが引退の理由に。いかにも内山らしい言葉だった 【写真は共同】

「100%の努力をできない人間がリングに上がるのは違うと思った」という理由は、いかにも内山らしい。高校の猛者たちが集まってくる拓大では最初は補欠にも選ばれなかった。出番のない内山が同級生の荷物番をさせられたのは知られたエピソード。内山を引き上げたのが、屈辱をバネにした猛練習だった。まだ王者時代の内山がこう語っていたことがある。

「僕は天才肌の人間じゃない。努力して、努力して、地道に上がっていったタイプ。だから、少しでもサボると弱くなるという気持ちはすごく強かった。それがアマチュア時代からずっと今でも続いているし、毎日コツコツやることにつながっていると思う」

 コラレスに連敗後、体力を落とさないように10日ほどでロードワークを始め、ジムワークをしながら、今後について熟慮してきた。「モチベーションの低下」という言葉で内山は表現したが、突き動かされるような何かが湧き上がってこなかったのだろう。

 長らく守ってきたベルトを失ったときは「やられたら、やり返す」のたぎるような思いが内山をつなぎとめた。だが、「大みそかは勝つことしか考えてなかったので、終わったときは『何もなくなったな』という感覚が残った」のだという。

「自分の中では前のように練習で追い込めないことがいちばん。ボクサーとして、中途半端な気持ちで試合をすることは絶対にできないという気持ちが強かった。必死に努力して、リングに上がることをモットーにやってきて、それではウソをつくことになる」

ボクサー人生はケガとの戦いだった

拳のケガに悩まされた中で、三浦隆司(右)との防衛戦が1つの試練でもあった 【写真は共同】

 一方で内山のボクサー人生は「ケガとうまく付き合っていくことが最大のポイントだった」と言うようにケガとの闘いだった。強打者の宿命たる拳のケガに悩まされたのはアマチュアのときから。プロではデビューから3連続初回KO後に古傷の左拳を手術。10カ月のブランクを強いられたのが最初だった。

 内山が「ボクシング人生が終わるかなと思いながらやっていた」と振り返る最大の試練は、3度目の防衛戦となる11年1月の三浦隆司(横浜光=当時)戦と11カ月後のホルヘ・ソリス(メキシコ)戦である。

 三浦戦を前にしたスパーリングで負傷した右拳は、試合直前の控え室でのミット打ちの段階から、痛みで「握れない状態」だった。試合でも2回に痛めていた右で三浦の頭を叩き、さらに深手を負った。3回には右目の上をバッティングでカットし、ダウンまで喫してしまった。その窮地をほとんど左手一本で乗り切っての逆転の8回TKO勝ちは「不完全な状態で勝てたことが、すごく自信になった」という精神力の勝利でもあった。

 なお試練は続いた。右拳を手術して迎えたソリス戦は「手術後も右は痛くて、痛くて。本当に思いきり打てば、1発で壊れちゃうんじゃないかという恐怖があった」という中での復帰戦だった。あのマニー・パッキャオ(フィリピン)と米国で拳を交えるなど、強豪との試合経験も豊富な実力者のソリスを11回に左フックで沈め、「しっかり勝って、乗り越えたことで36歳までチャンピオンでいられた」とキャリアのターニングポイントに挙げた。

 世界王座奪取から2度目の防衛戦までは右の強打が決め手となっていたが、ソリス戦以降はそれが左に変わった。それも右が使えない間に左を徹底して磨いた内山の努力の賜物だった。だが、今度は練習から左を酷使したことで、左ヒジに痛みを抱えることになる。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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