記憶に刻まれる有数の王者・内山高志 努力で昇華した遅咲きのボクサー人生
「悔いというものはない」
米国進出が目前とも言われたが、そこでコラレスに2連敗。結局は海外での大舞台は経験できなかったが、悔いはないと話す 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
ジョムトーン戦後に左ヒジの遊離軟骨除去手術を受ける。それと前後して、慢性的な右拳の痛みも消えた。15年12月に11度目の防衛戦辺りから、ケガの癒えた内山の米国進出が具体的な話題に上った。だが、交渉はまとまらず、迎えたのがコラレス戦だった。
その左ヒジは「またやるとしたら、もう一度手術をしないといけない状況」という。11月で38歳。治療にかかる期間を考えれば、これも決断の理由のひとつになった。
ファンも待望した米国進出が、ついに実現しなかったことについては「やりたかったと言えば、やりたかったが、ケガも多かったし、タイミングもうまくいかなかったので、後悔は特に持たない」と言った。「心残りを言ったら、キリがないと思うし、僕は悔いというものはないと思っている」とも。そして、自身のボクシング人生をこう総括した。
「高校でボクシングを始めたときは、まさか世界チャンピオンなんて、まったく頭になかったし、アマチュアで五輪を目指していた頃は、プロの世界に入ることも頭になかった。25歳でプロ転向して、スーパーフェザーという階級で11回防衛できて、自分が思っていた以上のものを達成できた。そういう場所まで引き上げてくれたワタナベジム、渡辺会長、自分を支えてくれた仲間、トレーナーたち、応援してくれる人たちに感謝しかない」
今後は未定 後進を育てていくことも
内山の背中を追いかけてきた田口(右)ら後輩たちがその意思を受け継ぐ 【写真は共同】
WBA世界ライトフライ級王者の田口良一は「ボクシングだけでなく、人間的に学んだことは計り知れない。ずっと追いかけて、背中を見てきた。内山さんのおかげで世界チャンピオンになれた」という。先の6度目の防衛戦を前にした鹿児島合宿では、同行した内山から「これからはお前がジムを引っ張っていかないといけない」と激励を受けた。IBF世界ミニマム級新王者となった京口紘人も同じ合宿で世界初挑戦を前にして「いろいろな心構えを教えていただいた」と振り返る。「存在しているだけで勉強になるし、お手本になる人。強ければいい、というものじゃなくて、人間性を備えた世界チャンピオンにならないとダメと示してくれた」と気持ちを引き締めている。
広く世界チャンピオンを目指す後輩ボクサーたちにメッセージを求められた内山は「練習が伴っていないのに俺は日本チャンピオンになりたい、世界チャンピオンになりたいと言う奴がいっぱいいる。もっと練習してから言えよと思う奴が」とまずは苦言を呈した。
これも以前の内山の言葉。
「僕の場合は1日1日の練習にしっかり目標と課題を持つ。やるんだったら、1個でもためになることをやる。その積み重ねが今につながっていると思う。若い選手の中にはトレーナーに言われたことだけをやる、頑張ってはいるけど、ただやっているだけという奴がいる。もっと自分の体の特長とかを知って、自分で考えないと。言うことだけ聞いているようではダメ」
その上で内山は「目標を持ってやるのであれば、みんなにチャンスがあるのがボクシングだと思う。世界チャンピオンになれば、人生がまったく違ってくる。ぜひ、世界チャンピオンを目指して、頑張ってもらいたい」とエールを送った。
今後については未定というが、すでに多くのことを示し、体現してきた内山は「ボクシングが好きだし、のちのちはジムをやっていきたい気持ちはある」と笑顔を見せた。