テネリフェは柴崎岳のチームとなっていた 「ブレない心」で自身の価値を証明

工藤拓

カディスとの第2戦では勝利の立役者に

第2戦は、柴崎の「ブレない心」がチームを勝利に導く原動力となった一戦だった 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

 そして指揮官の意図は、4日後のプレーオフ初戦で明らかになる。

 カディスに0−1で敗れた準決勝第1戦で、マルティーはボランチのアイトール・サンスをトップ下に移し、柴崎を左ボランチに起用する4−2−3−1でスタートした。

 この大一番にミスが命取りとなるポジションで起用されたことは、「ガクならミスなくボールをさばいてくれる」という指揮官の信頼の表れに他ならなかった。

 実際、この試合ではチーム随一の技巧派であるアイトール・サンスを含めた複数の選手はいつも通りのプレーができず、らしくないミスを連発していた。周囲がそのような状況下で、柴崎もほとんどボールに触れずじまいとなったが、少なくとも他の選手のように周りが見えなくなっている様子はなかった。

 続くカディスとの第2戦は、柴崎の「ブレない心」がチームを勝利に導く原動力となった一戦だった。

 ゴール前左で受けたチャンスボールを冷静に蹴り込んだゴールシーンだけではない。他の選手たちが極限状態の死闘を繰り広げる中、自身も120分間サイドで攻守に走り続けながら、かかとを使ったコントロールやパスなど遊び心を感じさせるプレーまで披露したのである。

「次が大事なので。あんまり気持ちとしては、うれしいですけどって感じですね」

 こうして勝利の立役者となった柴崎は、まるで昇格が決まったかのように喜びを爆発させるチームメートたちとは裏腹に、試合後も至って冷静に次戦に目を向けていた。

スペインサッカー界に確かな爪痕を残した

柴崎は3カ月余りでスペインサッカー界に確かな爪痕を残した 【Getty Images】

 これだけの大舞台で大仕事をやってのけたというのに、この落ち着きぶりは何なのだ。日本人記者も驚いたその冷静さを、いくつかのスペインメディアは「サングレ・フリーア(冷血さ)」と表現していた。そこに込められたのは皮肉でも揶揄(やゆ)でもなく、純粋な賞賛だった。

 続くヘタフェとの決勝第1戦でも、柴崎はコーナーキックから先制点をアシスト。第2戦でも防戦一方の状況下で起死回生のアウェーゴールを生み出した。

 もはやテネリフェは柴崎のチームとなっていた。にもかかわらず、マルティは最後の最後で異なる選択肢に手を伸ばしてしまう。

 ハーフタイムを終えて間もない後半6分、指揮官は1ゴールで逆転できる状況下で最初の交代カードを切った。アシスタントレフェリーが掲げるボードに表示された数字は「20」。それは全体的に動きが硬く、個々の力でも連係面でも一枚上手のヘタフェに中盤を支配される中、潔く2トップのフィジカルを生かしたダイレクトプレーに賭ける決断だった。

 その結果、テネリフェはゲーム終盤に何度かゴール前でシュートチャンスを手にしたものの、いずれも枠を捉えることはなかった。あくまでも結果論ではある。だが皮肉にも選手たちに欠けていたのは、誰よりも柴崎が持っていたゴール前での冷静さだった。

 2試合合計スコアは2−3。結局、テネリフェはあと1点が足りず、昇格を逃したことになる。

 だが柴崎の活躍がなければ、テネリフェが昇格まであと1点のところまで迫ることはなかったのではないか。加入から5カ月、デビュー戦から数えれば3カ月余りの間に、柴崎はスペインサッカー界に確かな爪痕を残した。

 契約延長の条件である1部昇格はかなわず、テネリフェとの契約はこれで満了となる。クラブは慰留に努める意向を示しているが、1部、2部を含め他クラブからオファーが来る可能性もある。今後はそれらのオファーを含め、テネリフェへの残留有無を決めることになるだろう。

 なぜ最後の最後でピッチに立ち続けることができず、目標に手が届かなかったのか――。もしかしたら柴崎は、試合後のベンチでそのことを考えていたのかもしれない。

 いずれにせよその答えは、今後自身のキャリアを切り開いていく中で見いだしていくしかない。

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著者プロフィール

東京生まれの神奈川育ち。桐光学園高‐早稲田大学文学部卒。幼稚園のクラブでボールを蹴りはじめ、大学時代よりフットボールライターを志す。2006年よりバルセロナ在住。現在はサッカーを中心に欧州のスポーツ取材に奔走しつつ、執筆、翻訳活動を続けている。生涯現役を目標にプレーも継続。自身が立ち上げたバルセロナのフットサルチームは活動10周年を迎えた。

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