鹿島のルーキー柴崎岳、高いレベルに順応できる力=「情熱的で献身的なマイペース」の19歳

安藤隆人

宇佐美、宮市ら「プラチナ世代」の筆頭

ナビスコカップ決勝で高卒ルーキーながら先発フル出場を果たした柴崎(左)。1年目で自身初となるタイトルを獲得した 【写真は共同】

 ナビスコカップ決勝でただ一人、高卒の新人選手がスタメンに名を連ねた。鹿島アントラーズ期待のルーキー柴崎岳は、試合開始のホイッスルから優勝が決まったタイムアップの瞬間まで、国立のピッチに立ち続けた。
 現在、日本サッカー界の将来を担うネクストジェネレーションとして頭角を現しつつある「プラチナ世代」。その筆頭には、宇佐美貴史(バイエルン・ミュンヘン)、宮市亮(アーセナル)と若くして海を渡った者が挙げられるが、柴崎もまた、その最前線を走る才能豊かな選手の1人である。

 青森県の北東部にある野辺地町で生を受けた柴崎。東北の天才少年として、野辺地SSS時代から県内では注目の存在であった。中学校は名門・青森山田中に進学。中学生とは思えない落ち着きはらったプレーを見せつけ、中学3年時には飛び級で青森山田高のレギュラーをつかむまでになった。中学2年生から3年生に進級する春、柴崎と初めて会った時に強烈な印象を受けた。彼は関東でのフェスティバルに青森山田高の一員として参加。当時から表情は大人びていて、プレーも落ち着いていた。
「年齢は関係ないと思っています。僕は一番年下ですが、サッカーなのでやることは変わらないし、こうしてうまい人たちとできるので、チャンスだと思っています」

百戦錬磨の選手がそろう鹿島でも出番をつかむ

 柴崎は上のカテゴリーに放り込まれても、すぐに順応する能力を兼ね備えていた。中学生で高校生のチームに順応するのは非常に難しい。この年代の1学年差は成長速度から言っても非常に大きく、ましてや彼が務めるボランチは周りを動かす立場であり、思い切りトライできるサイドMFやFWなどと違って、難しいポジションでもある。だが、中学生の柴崎は、デビュー戦からすんなりとフィットした。それどころか、柴崎が指示を出して、自らボールを呼び込んでは、上級生たちを巧みに操っていたのだ。

 それは年代別の日本代表においても変わらなかった。プラチナ世代と呼ばれる同年代には、宇佐美、高木善朗(ユトレヒト)、宮吉拓実(京都)、堀米勇輝(甲府)と技術の高いJユースのタレントがそろっていたが、その中でも柴崎の存在は際立ち、チームにとって欠かせない存在になっていった。しかも、彼は単にフィットするだけでなく、そこから突き抜けることができる。青森山田高では中学3年生ながら不動のレギュラーに定着し、進学後は絶対的な存在に。また、U−17日本代表ではナンバー10を背負い、U−17ワールドカップで中盤の核を担った。

 そして鳴り物入りで入団した鹿島においても、けがこそあったが、百戦錬磨の選手がそろう中で、1年目から早々と出番をつかんだ。気がつけばスタメン起用されるようになり、冒頭で述べたように、ナビスコカップ決勝で120分フル出場し、自身初のタイトルを手に入れた。また、ロンドン五輪を目指すU−22日本代表候補にも選出されている。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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