日本代表入りへ、柴崎岳が描く成長曲線=飽くなき情熱でさらなる上昇を目指す

安藤隆人

ぶれないメンタリティー

3年目の今シーズン、柴崎は鹿島の中心選手として不動の地位を築いている 【Getty Images】

 冷静沈着な目はあの頃と変わっていない。背筋をぴんと伸ばして、ピッチ中央で全体を見渡し、正確な長短のパスを繰り出す。柴崎岳は今、鹿島アントラーズで不動の存在となり、攻守の要としてピッチ中央に君臨している。

 中学生時代から天才として注目を集めていた逸材は、すくすくと着実に成長を遂げている。時として天才は“もろ刃の剣”と言われ、不遇の時を過ごし、終えんしてしまう運命をたどることもある。だが、柴崎は違う。着実に必要なステップを踏んでいる。

 なぜ彼はそうできるのか。その秘密はぶれないメンタリティーにある。筆者は彼が中学2年生だった頃から知っているが、今も昔も考え方、姿勢は全く崩れていない。「将来のことを視野に入れながらプレーをする」。常に目先の事だけではなく、未来も設計の中に組み入れて行動する。それはオフ・ザ・ピッチにも表れ、すべてをサッカー優先にとらえていた。中学2年生から3年生に上がる春に、早くも青森山田高校のボランチとしてデビュー。あるフェスティバルではアップの時から一人だけ中学生と思えないほど落ち着いていた。いざ試合が始まると、積極的にボールを呼び込んで、冷静にさばいていく姿が印象的だった。

「正直、年齢とか気にしていません。ピッチ上では平等だと思うし、出ている以上は自分がチームの一員として機能しないと意味がない。遠慮していたらかえって迷惑になってしまう」

 こう言い切る姿は、中学生のそれとは思えなかった。中学3年生で早くも青森山田高の不動のボランチとなった彼は、高校進学後、10番を3年間背負い続け、チームの中心になり続けた。

「自分が一番」という環境は好きではない

 柴崎の口から発せられる冷静な言葉は、時として“生意気”に映るかもしれない。実際、高校時代はそういう見方も多かった。だが、彼ほど情熱家で、向上心の強い選手はめったにいない。

「年齢が上がれば上がるほど、求められるものは多くなる。それに応えないといけないし、自分は常に自分が下になるような環境にいたいんです。そうすればより上を目指そうという気持ちになるし、『自分が一番』という環境は好きではありません」

 この言葉の奥には、常に自分が“追い越す側”にいたいという強い欲求がある。彼は“お山の大将”になることを望んでいない。あれだけの才を持ちながらも、自分よりうまい選手のプレーを吸収し、より成長したいという飽くなき向上心がある。だからこそ、中学生時代から高校生に混じってプレーをしたし、年代別代表でも宇佐美貴史を筆頭に、才能ある同年代の選手に刺激を受けることを望んだ。高校2年生の冬に、競争が激しい鹿島入りを決めて、「高校3年生はプロ1年目だと思っている。この出来次第で、自分がプロで本当に通用するかが分かるし、高い意識で臨める」と、自分にプレッシャーをかけて敢えて厳しい環境を作り出した。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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