長谷部誠が語る鈴木啓太とのステキな関係 「今も一方的にライバルだと思っている」

碧山緒里摩

長谷部誠が引退試合を目前に控えた鈴木啓太との思い出を振り返った 【撮影:スエイシナオヨシ】

 啓太くんのことなら、中学1年生の時から知っている。

 中1のサッカー少年にとって、全国中学サッカー大会優勝を果たした東海大一中(現東海大付属静岡翔洋中)のキャプテンは、憧憬(しょうけい)の的であった。その後、浦和レッズでチームメートとなる同郷の先輩は最高の手本であり、よき兄貴分であり、仲間であり、ライバルでもあった。

 現在、フランクフルトでプレーする長谷部誠は、引退試合を目前に控えた鈴木啓太との思い出を懐かしそうに振り返った。

「僕が中1の時に、啓太くんは中3。その時からスターでした。高校の時も県選抜に入っていましたし。静岡県選抜の選手はみんなプロにいくので、プロを見るような目で見ていましたね」

とんでもないところだったプロの世界

高卒ルーキーだった長谷部にとって、のちにコンビを組む背番号13はまだ憧れの対象だったという 【撮影:スエイシナオヨシ】

 長谷部が浦和入りした2002年、鈴木はすでにボランチの定位置を確保していた。背番号32を与えられた高卒ルーキーにとって、のちにコンビを組む背番号13はまだ憧れの対象だった。

「僕が加入したころからレギュラーでした。プロで初めて会った時、オーラがあってカッコいい方だなと思っていました」

 02年の浦和はハンス・オフト監督のもと、“ミスターレッズ”こと福田正博や当時の日本代表最多キャップを誇った井原正巳も在籍。寮では井原が生活しており、さらに17人目の選手として帯同したある日のリーグ戦では指揮官の意向で福田と同部屋に割り当てられた。

「テレビで見ていた選手と一緒に練習して。『とんでもないところに来たんだな』という思いしかなかった」

 18歳のルーキーが雲の上の存在とも言える大ベテランにアドバイスを請うなんて、とんでもない。試合前夜、来るべき決戦に集中力を高める福田のピリピリした雰囲気に耐え切れず、寝る寸前まで部屋を離れている以外に当時の長谷部には選択肢がなかった。

 華々しさとは無縁のプロの第一歩を踏み出した長谷部は、スカウトの宮崎義正(現スカウト部長)から鈴木に張り付くよう指示される。「とにかく啓太についていけば大丈夫だから。ピッチの中はもちろん、ピッチの外も啓太と一緒にいれば大丈夫だから」とアドバイスされたのだった。

「コツコツまじめにやる。練習前のいつ筋トレをするとか、そういうルーティンが啓太くんの中で確立されていましたし、絶対に崩さなかった。とにかく啓太くんは自立していたし、若い時から成熟していましたね」

鈴木啓太という存在は大きな影響があった

「鈴木啓太という存在は、長谷部誠というプロサッカー選手を作る上で大きな影響がありました」と長谷部は語る 【(C)J.LEAGUE】

 プロ2年目となった03年にはレギュラーを確保し、ボランチで鈴木とコンビを組む機会も増えた。積極果敢にドリブルを仕掛け、チャンスメークに絡んでいく長谷部と豊富な運動量で中盤の底を広くカバーし、ピンチの芽を摘んでいく鈴木。プレースタイルは異なるが、サッカーに取り組む姿勢を参考にした。「とんでもないところ」で日々、悪戦苦闘していた長谷部は、鈴木からプロで生き延びる術(すべ)を学んでいったのだった。

「啓太くんの洞察力、考える力は明らかに優れていました。そういう適応力は一緒にプレーして感じていましたし、盗みたいと思っていました。鈴木啓太という存在があったから、自分が成長できた部分は絶対にある。

 啓太くんが代表に選ばれて、僕が選ばれない時には、『啓太くんに負けたくない。そこは俺のポジションだ』という思いもありました。なかなか言葉では説明しづらい、特別なライバル関係ですね。鈴木啓太という存在は、長谷部誠というプロサッカー選手を作る上で大きな影響がありました」

「適応力は今の自分よりも啓太くんが上だった」

 今でこそ、広い視野と先を読む戦術眼でチームにバランスをもたらす長谷部だが、当時はイケイケの若手だった。本人いわく「ピッチに立ったら怖いものなし。誰が来てもボールを取られないという感覚があった」。ノーストレスで自分のプレーに集中できた陰には、鈴木の献身があったのだ。

「僕はボランチなのにドリブルでどんどん上がっていく。啓太くんが自由にやらせてくれた部分はあったでしょうし、リスクが多少なりともあった中で、それをカバーしてくれた部分もある。4、5年くらい、中盤でコンビを組んでいたけれど、戦術などを話したことはほとんどありません。僕が好き勝手にやって、啓太くんがバランスを取ってくれるという、あうんの呼吸というか。ピッチの中で言えば、おんぶにだっこでしたね(笑)」

 長谷部は謙遜するが、両者の関係は決して一方が依存するアンバランスなものではなかった。運動量と対人の強さを兼ね備える鈴木は独特の攻撃センスを誇る長谷部という相棒をフォローすることで、プロとして生きる道を見いだしたのだ。長谷部も「啓太くんはプロとして、そこを生きる道にしていたんだと思う。啓太くん本人も言っていたのですが、『俺はすごいテクニックがあるわけではないし、飛び抜けてプロでやっていくものを持っているわけではない』と」と同意する。

 長谷部が浦和からドイツ・ブンデスリーガに主戦場を移して10年――。ボランチに右サイドハーフ、右サイドバック、さらにはリベロもこなし、抜群の適応力を見せる長谷部だが、当時の鈴木の適応力の方が自身を上回っていると分析する。

「自分も適応力が強みですが、それ以上に啓太くんは適応力があったと思います。考える力、判断力は間違いなく、今の自分より啓太くんが上です」

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