岡田オーナーとの信頼関係、描くビジョン 小野剛が語る「何でも屋」の矜持<後編>

宇都宮徹壱

Jクラブの監督への未練は「ないことはない」けれど

岡田は2012年から杭州緑城で監督を務めた。ここでもきっかけを作ったのは小野だった 【宇都宮徹壱】

──南アフリカ大会でベスト16という成績を残した岡田さんは、12年から中国の杭州緑城の監督になります。そこで再び小野さんは参謀役になるわけですが、そもそも岡田さんと中国との接点を作ったのも小野さんだったそうですね。

 ちょうどその頃はFIFA(国際サッカー連盟)の仕事で、中国のエリート指導者育成の仕事をしていたんです。すると、中国の協会としては日本の指導者に来てもらいたいという希望があったようで、「じゃあ、岡田さんに投げ掛けてみましょうか」と言ったら、すぐにいくつかオファーが来たという感じでしたね。

──なるほど、杭州緑城からダイレクトにオファーがあったのではなく、まずは小野さんがきっかけを作ったんですね。

 小さなきっかけですけれどね。それで緑城の監督就任が決まって「それはよかった。新しいチャレンジが始まるんですね」なんて話をしていたら、岡田さんが「え、お前も一緒に来るんだろ?」って(笑)。「いやいや、僕はFIFAのインストラクターの仕事が」と言おうとしたんですけれど、結局、中国でも仕事をご一緒することになりました。

──そして岡田さんとの関係は、中国からさらに今治へと続いたわけですね。それにしてもFIFAの仕事もさることながら、小野さんはサンフレッチェ広島とロアッソ熊本でトップチームの監督をやられていた。そちらに対する未練はないのでしょうか?

 ないことはないですね。ただ僕の場合、本当に「何でも屋」ですし、今ここにいる若いコーチたちも本当に勉強熱心ですから、僕としても非常にやりがいは感じています。僕の今治でのもう1つの肩書は「コーチデベロップメントマネージャー」です。クラブ内に指導者育成のシステムを持っているところって、Jクラブでもないですよね。そういう新しさに魅力とやりがいを感じた部分もあります。

──ただしFC今治の場合、どうしても「理念先行」のイメージが拭えないところがあるかと思うのですが、その点はいかがでしょうか?

 それは確かに、僕もこちらに来て少し気になっている部分でした。もちろんロジック(論理)は大切だけれど、エモーション(情熱)も大切。選手に対してロジックだけで接すると、絶対に行き詰まってしまうから、そこはエモーションの部分で選手の心に火をつけないといけない。「教える」というよりも「引き出す」。要はそのバランスですよね。そういったところは、少しずつ若いコーチたちにアドバイスしながら、彼らの良さもどんどん引き出していきたいと思っています。

育成のプロから見たFC今治のプロジェクト

トップチームの吉武監督(右)にS級ライセンスを交付したのも小野。「何でも屋」として多くの任務をこなしてきた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

──小野さんは今治の育成のトップであり、さらに若いコーチの指導もされています。トップチームの監督である吉武博文さんとの関係性はいかがでしょう?

 実は吉武さんと僕は、ずいぶん古い仲なんですよ。僕が(JFAの)技術委員会にいたとき、最初はS級(JFA公認S級コーチ)のインストラクターをやっていたんですが、その時の受講生の1人が吉武さん。名だたるJクラブのコーチたちがいる中で、当時学校の先生をされていた吉武さんはちょっと異色の存在でしたね。

──それは知りませんでした! 当時の吉武さんの印象はどんな感じでした?

 最初は大人しい印象でしたが、1週間が経ち、2週間が経つとメキメキと頭角を現してきたんですよ。他の受講者が気付かないところを、あの人はちゃんと見ている。いろいろ話をしているうちに「この人は間違いない」と確信しました。

 それで講習が終わったら、吉武さんが勤務していた大分の盲学校を訪ねて、「空いている時間でいいので、ナショナルトレセンコーチをお願いしたい」と校長先生に直談判したんです。

──なるほど、そこから吉武さんのU−17日本代表監督就任につながっていくんですね。

 そうです。ナショナルトレセンのコーチはパートタイムで良かったけれど、代表監督となるとフルタイムですから、その時には学校の先生を辞めていただきました。どちらもスカウトしたのは僕でしたね。吉武さんは今でこそトップチームの監督ですが、育成での仕事も長かったのでコーチの勉強会で時々お話をしてもらっています。

──いろいろとお話が尽きませんが、最後の質問です。岡田さんが今治でやろうとしているプロジェクトは5年後、10年後にならないと成果が分からないという点において、育成の仕事にすごく似ていると思うんです。長年、育成のお仕事をされてきた小野さんからご覧になって、岡田さんのプロジェクトはどのように映るのでしょうか?

 まず、目指している方向は本当に素晴らしいと思います。今は岡田さんも会社のオーナーとして、毎月スタッフに給料を払わなければならない立場ですから、本当に大変だなと思います。でも、5年後、10年後を見据えて、人や組織を育てていくことがおろそかになると、気付いたときにはもうおしまいです。そのぎりぎりのところで素晴らしい仕事をしている。だからこそ、絶対に成功してほしいですよね。

 岡田さんのチャレンジは、ビッグなプロジェクトになることが多いので、大変は大変なんです。それでもやりがいは感じるし、めちゃくちゃ楽しい。これまでいろいろな立場で仕事をしてきましたけれど、大変さとやりがいという意味では、JFAや中国で一緒にやっていたときと、変わらないと思っています。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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