イラク戦に向けた日本代表の不安と楽観 テロ事件直後の「平和な」テヘランにて

宇都宮徹壱

あっけらかんとしていたテヘラン

イラク対日本の試合が開催されるイランの首都・テヘランは拍子抜けするくらいに「平和」であった 【宇都宮徹壱】

 イランの首都・テヘランのエマーム・ホメイニ国際空港に到着したのは、現地時間6月10日の正午のことである。テヘランといえば、その3日前の7日に国会議事堂と郊外のホメイニ廟(びょう)にて同時多発テロが発生。合計17名の犠牲者が出る一方で、事件に連座したとして40名を超える容疑者が拘束されたことが報じられている。もともとイランは、中東諸国の中でも抜群に治安が安定していることで知られていただけに、その衝撃は計り知れない。加えて事件から6日後の13日には、当地でワールドカップ(W杯)アジア最終予選、イラクvs.日本の試合が開催される。当然ながら、現地の情勢を不安視する声は少なくなかった。

 ところが実際に現地に到着してみると、テヘランは拍子抜けするくらいに平和であった。入国審査も1分ほどで終わったし、空港内が厳重に警備されている様子もない。テヘランを訪れるのは今回で4回目だが、まなじりを決して向かってみると過去3回と何ら変わることがない風景に、いささか拍子抜けしてしまった。もともとイランの人々は今回のテロを深刻にとらえていないのか、それとも何らかの理由で、あえて平静を装っているのか――。到着したばかりの外国人には、正直なところよく分からない。

 その後、タクシーで中心街のホテルに向かったのだが、車窓から見えるテヘランの風景もまた、最後に訪れた2年前からほとんど変わっていなかった。ドライバーの男は、かつて日本に出稼ぎに来た経験があるそうで、私がサッカーの取材に来たことを知ると「オー、ツバサ!」と大げさに叫んで笑った。イランでも『キャプテン翼』は根強い人気があるそうで、「うちの息子たちもツバサのアニメが大好きなんだ」とドライバー氏。話が盛り上がったところで、さり気なく3日前のテロのことを聞いてみる。するとドライバー氏は、一転して黙り込んでしまった。この話題を触れるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

 今回のテヘラン取材で、もうひとつ気をつけなければならないのが、食事である。イスラム世界は5月27日から6月25日まで、ラマダン(断食月)の期間に入っていた。この期間、イスラム教徒は日没まで食事はもちろん、国や宗派によっては水を飲むことさえ禁じられる。外国人も例外ではなく、日中に公衆の面前で食べ物を口にすることはタブーである。幸いイランの場合、ホテル内であれば日中でも食事を取ることは可能。ただし、空腹を抱えているはずの地元のスタッフに、料理を運んでもらうのは少しばかり申し訳ない気分になる。いろいろ気遣いをしながらも、テヘランでの取材がスタートした。

日本代表を悩ませる暑さと相次ぐけが人

暑さは厳しいが、滞在3日目ともなると選手もかなり現地の環境に順応してきた様子だ 【宇都宮徹壱】

 今回の日本代表の練習場は、中心街から車で50分ほど離れた場所にある、テヘラン州郊外のコッズ・スタジアム。初日(9日)の練習では、日本代表の警備のため「イラン当局は治安維持軍30人を導入」との報道があったが、少なくとも私が取材した2日目以降については、そうしたものものしさはまったく感じられない。選手たちが直面していたのはテロへの恐怖ではなく、むしろ異常なまでの現地の暑さであった。

 練習開始時間は、キックオフと同じ17時30分に設定されていた。しかしまだ陽は高く、気温は35度を越えることもしばしば。練習2日目のランニングの際には、何人かの選手たちは舌を出して苦しそうな表情を見せていた。代表のトレーニングでは、なかなか見られない光景だ。ちょっと心配にもなったが、3日目ともなると選手もかなり現地の環境に順応してきた様子。久保裕也は「昨日よりは慣れました。みんなそう言っていたし、僕だけではなく、そう感じていると思う」。酒井高徳も「昨日に比べて今日はラクでした。(中略)早めにこっちに入って、昨日から今日にかけて環境適応の部分でよくなったと思います」と手応えを感じている様子であった。

 一方で心配なのが、けが人の状態だ。2日目まで長友佑都は別メニュー、山口蛍はトレーニングに姿を見せなかった。しかし3日目のこの日、長友は全体練習に復帰し、山口も別メニューながら久々にメディアの前に姿を現した。トレーニング後の取材に応じた山口は、痛めていたすねについて聞かれると「順調にはきているので、あとは監督がどういう判断をするか。できるだけの準備をして臨みたいです」と答えている。とはいえ、3日続けてトレーニングを休まなければならなかったことを考えると、イラク戦での出場はいささか微妙であると言わざるを得ないだろう。

 現地の暑さと相次ぐけが人に加え、対戦するイラクも(W杯予選突破はなくなったとはいえ)非常に侮れない存在であることは間違いない。それでもある一点において、われわれは楽観してよいだろう。それは何かと言えば、2日後の13日にはほぼ間違いなく、ここテヘランでイラクvs.日本の予選が行われるということだ。対戦する両国の協会に加え、会場を提供してくれたイラン側の努力によって、われわれは当日の試合に勝つことだけに集中することができる。あまりにも平和であっけらかんとしていた、テロ事件直後のテヘラン。それでも、この混迷する世界の中で「サッカーのことだけを考えていればいい」という状況が確保されているありがたみを、われわれは忘れるべきではない。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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